上野・谷中・根岸ルートの9景
第1景 図版番号 19 安政3年(1856)4月
上野清水堂不忍ノ池(うえのきよみずどうしのばずのいけ)
歌川広重「名所江戸百景 上野清水堂不忍ノ池」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Guilhem Vellut, Wikimedia Commons(CC BY 2.0)
| いまの場所 | 清水観音堂・不忍池 |
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| 住所 | 台東区上野公園1-29 |
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| 最寄り駅 | JR・東京メトロ 上野駅から徒歩5分 |
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| 滞在の目安 | 約20分 |
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京都・清水寺を模して建てられた清水観音堂の舞台から、不忍池と弁天堂を見下ろす構図。舞台の柱越しに池を望むという、実際の清水寺の「舞台造り」を彷彿とさせる仕掛けが凝らされています。清水観音堂は上野戦争と戦災をくぐり抜けて焼け残った江戸期の建築で、絵と同じ舞台から不忍池を見下ろすことができます。
清水観音堂は寛永8年(1631)、寛永寺の開山・天海が「江戸の人々にも京都の清水寺参りの気分を味わってほしい」と、あえて本家そっくりに建てたお堂です。慶応4年(1868)の上野戦争(彰義隊の戦い)や第二次大戦の空襲では寛永寺の大半が焼失しましたが、この観音堂は奇跡的に焼け残り、上野公園に現存する江戸期建築のひとつとなっています。
あわせて寄りたい:上野大仏(顔だけ大仏)徒歩3分ほど
度重なる地震と火災で身体を失い、今では顔の部分だけが残る大仏様。「これ以上落ちない」ということから、受験合格祈願の名所になっています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%A0%82_(%E5%AF%9B%E6%B0%B8%E5%AF%BA)
第2景 図版番号 36 安政4年(1857)8月
上野山内月のまつ(うえのさんないつきのまつ)
歌川広重「名所江戸百景 上野山内月のまつ」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Tak1701d, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)
| いまの場所 | 清水観音堂の「月の松」 |
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| 住所 | 台東区上野公園1-29 |
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| 最寄り駅 | JR・東京メトロ 上野駅から徒歩5分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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枝を丸く仕立てた「月の松」の輪の中に、不忍池と満月のような構図をおさめた奇抜な一枚。円形の枝越しに景色を切り取るという斬新なアイデアで、広重晩年の遊び心がよく表れています。この「月の松」は明治初期に一度枯れて失われましたが、平成24年(2012)にこの浮世絵をもとに復元。広重が描いた構図とほぼ同じ景色を、今も実際に見ることができます。
この月の松、実は明治初期に枯れてしまい、長らく失われていました。しかし平成24年(2012)、清水観音堂の境内にこの浮世絵をもとにして「月の松」が復元され、今では広重が描いた構図とほぼ同じ景色を実際に見ることができます。浮世絵が現実の景観を「作り直させた」珍しい例といえます。
あわせて寄りたい:上野東照宮徒歩5分ほど
徳川家康を祀る神社で、金色殿と呼ばれる絢爛豪華な社殿が有名。江戸初期の建築がほぼそのままの姿で残る、上野公園でも屈指の見どころです。
出典・参考:https://www.tesshow.jp/taito/temple_uenokoen_kiyomizu.html
第3景 図版番号 12 安政5年(1858)10月
上野山した(うえのやました)
歌川広重「名所江戸百景 上野山した」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
傘回し師と女三味線師 2008 (3360061473).jpg (Wikimedia Commons, CC BY 2.0)
| いまの場所 | 上野駅山下口周辺 |
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| 住所 | 台東区上野 |
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| 最寄り駅 | JR・東京メトロ 上野駅山下口すぐ |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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日傘をさした奥女中たちの行列と、平目や鯛を店先に吊るした紫蘇飯屋「いせや」を描いた一枚。上野の山と不忍池の間、上野駅山下口にあたる低地の賑わいを伝えています。今の山下口周辺は駅前広場となり当時の商店街の面影はないため、同じ上野公園内で今も大道芸(傘回し)が披露される五條天神前の様子を掲載しました。絵に描かれた奥女中たちの日傘と、図らずも響き合う一枚です。
「山した」は上野の山(寛永寺境内)の南東に広がる低地を指し、18世紀末から盛り場として発達しました。広重没後の安政5年(1858)10月に出版されており、二代広重の筆が加わっているとの説もあります。今の上野駅山下口周辺にあたります。
出典・参考:https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail243.html
第4景 図版番号 60 安政3年(1856)9月
下谷広小路(したやひろこうじ)
歌川広重「名所江戸百景 下谷広小路」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Angus Chan, Wikimedia Commons(CC BY-SA 2.5)
| いまの場所 | アメヤ横丁(アメ横)周辺 |
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| 住所 | 台東区上野4-7-8付近 |
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| 最寄り駅 | JR 上野駅・御徒町駅からすぐ |
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| 滞在の目安 | 約20分 |
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寛永寺の総門前に広がる、江戸有数の広い通り「下谷広小路」を描いた一枚。両側に呉服店や小間物屋が軒を連ね、大勢の人々が行き交う様子から当時の賑わいが伝わってきます。江戸の広小路の賑わいは、戦後の闇市から生まれた「アメ横」という別の形の賑わいに姿を変えたため、その一帯を現在地としています。
「広小路」という名の通り、この通りは明暦の大火(1657)という江戸史上最大の大火の教訓から、防火のためにわざと広く作られました。現在この界隈は、戦後の闇市を起源に持つ「アメ横」として生まれ変わり、乾物や衣料品の露店がひしめく庶民的な商店街として、当時とは違う形の賑わいを今に伝えています。
あわせて寄りたい:西郷隆盛像徒歩5分ほど
上野公園の入り口に立つ、犬を連れた着物姿の銅像。明治31年(1898)除幕、彫刻家・高村光雲の作で、上野のシンボル的存在として親しまれています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%A4%E6%A8%AA%E4%B8%81
第5景 図版番号 17 安政3年(1856)4月
湯しま天神坂上眺望(ゆしまてんじんさかうえちょうぼう)
歌川広重「名所江戸百景 湯しま天神坂上眺望」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Dennis Boller, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)
| いまの場所 | 湯島天満宮(湯島天神) |
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| 住所 | 文京区湯島3-30-1 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ千代田線 湯島駅から徒歩5分 |
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| 滞在の目安 | 約15分 |
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湯島天神の男坂・女坂を上りきった高台から、不忍池方面を見晴らす構図。坂の上という高低差を生かして、江戸の町並みを一望する開放感を表現しています。湯島天神は今も同じ高台に鎮座し、受験シーズンには境内が合格祈願の絵馬で埋め尽くされます。
湯島天神は雄略天皇2年(458)創建と伝わる古社で、祭神は学問の神様・菅原道真(亀戸天神と同じ祭神です)。受験シーズンには合格祈願の絵馬で境内が埋め尽くされる、東京有数の学問成就スポットとして今も多くの参拝者を集めています。
あわせて寄りたい:湯島聖堂徒歩10分ほど
徳川綱吉が元禄3年(1690)に建てた孔子廟。日本の学校教育発祥の地ともいわれ、現在の建物は関東大震災後に鉄筋コンクリートで再建されたものです。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E5%B3%B6%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
第6景 図版番号 65 安政3年(1856)5月
千駄木団子坂花屋敷(せんだぎだんござかはなやしき)
歌川広重「名所江戸百景 千駄木団子坂花屋敷」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Higa4, Wikimedia Commons(CC0)
| いまの場所 | 団子坂 |
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| 住所 | 文京区千駄木2丁目・3丁目の間 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ千代田線 千駄木駅からすぐ |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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団子坂の途中にあった花屋敷(植木屋)を描いた一枚。坂の上からは花見客で賑わう庭園を見下ろし、坂の下からは見上げる構図で、高低差のある地形を活かした遠近感が印象的です。花屋敷は失われて静かな住宅地の坂道になりましたが、坂そのものは同じ場所に残っているため、この坂道を現在地としています。
坂の名の由来は諸説あり、団子屋が並んでいたから、あるいは坂の形が団子のようだったからとも言われます。江戸から明治にかけては菊人形の見世物で全国的に有名になり、夏目漱石の小説「三四郎」にも団子坂の菊人形見物の場面が登場します。花屋敷は今はなく、静かな住宅地の坂道になっています。
あわせて寄りたい:根津神社徒歩10分ほど
1900年以上の歴史を持つと伝わる古社で、現在の社殿は宝永3年(1706)、5代将軍・徳川綱吉が奉建したもの。江戸期の権現造り社殿がほぼそのまま残る貴重な神社です。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%AD%90%E5%9D%82
第7景 図版番号 106 安政4年(1857)2月
日暮里寺院の林泉(にっぽりじいんのりんせん)
歌川広重「名所江戸百景 日暮里寺院の林泉」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Multa, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)
| いまの場所 | 谷中・修性院周辺 |
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| 住所 | 荒川区西日暮里3丁目付近 |
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| 最寄り駅 | JR 日暮里駅から徒歩7分 |
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| 滞在の目安 | 約15分 |
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日暮里の寺院に作られた庭園の池泉を描いた一枚。手前に大きく枝垂れ桜、奥に築山と池という構図で、都心とは思えない静かな行楽地としての日暮里の魅力を伝えています。描かれた庭園そのものは特定できませんが、寺と庭が集まる行楽地という性格を今も残す谷中・修性院の一帯を現在地としています。
「日暮里」という地名は、もとは「新堀(にっぽり)」と書かれていましたが、一日中いても飽きない里という意味を込めて「日暮らしの里」の字が当てられるようになったといわれます。江戸時代から寺と庭園が集まる行楽地として知られ、関東大震災や東京大空襲の被害も比較的少なかったため、今も谷中には数多くの寺院と、独特の下町情緒が残っています。
あわせて寄りたい:経王寺徒歩5分ほど
明暦元年(1655)開山の日蓮宗寺院。慶応4年(1868)の上野戦争で敗走した彰義隊の一部をかくまったとされ、山門には今も戦闘の弾痕が残っていると伝わります。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E4%B8%AD
第8景 図版番号 95 安政3年(1856)5月
日暮里諏訪の台(にっぽりすわのだい)
歌川広重「名所江戸百景 日暮里諏訪の台」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Abasaa, Wikimedia Commons(Public Domain)
| いまの場所 | 諏方神社周辺の高台 |
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| 住所 | 荒川区西日暮里3-4-8 |
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| 最寄り駅 | JR・東京メトロ 西日暮里駅から徒歩3分 |
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| 滞在の目安 | 約15分 |
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諏訪の台にあった茶屋からの眺めを描いた一枚。高台から田んぼ越しに富士山と筑波山を望む構図で、行楽客がくつろぐ様子とともに、江戸近郊ののどかな眺望が表現されています。諏訪の台の高台は今も同じ場所にありますが、当時の田園風景はJRの線路に変わり、今は「ふれあい橋」からの眺めにその面影を残すのみです。
諏訪の台の名は、鎌倉時代創建と伝わる諏方神社に由来します。日暮里・谷中一帯の総鎮守として今も地域に親しまれるこの神社の立つ高台は、今ではすぐ下を走るJRの線路を見渡せる、鉄道ファンに人気の「ふれあい橋」からの眺めにその面影を残しています。
あわせて寄りたい:谷中銀座・夕やけだんだん徒歩10分ほど
谷中霊園の南側に広がる昭和レトロな商店街と、その入り口の階段。夕日の名所として知られ、猫の町としても有名な谷根千散歩の定番スポットです。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E6%96%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%8D%92%E5%B7%9D%E5%8C%BA)
第9景 図版番号 103 安政4年(1857)閏5月
蓑輪金杉三河しま(みのわかなすぎみかわしま)
歌川広重「名所江戸百景 蓑輪金杉三河しま」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Fuji no Otaki.jpg (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)
| いまの場所 | 東日暮里(三河島駅周辺) |
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| 住所 | 荒川区東日暮里 |
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| 最寄り駅 | JR常磐線 三河島駅すぐ |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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雪の中、竹垣に囲われた餌場に鶴が舞い降りる様子を描いた一枚。三河島は将軍自ら鷹狩りで鶴を捕らえ朝廷へ献上する「鶴御成」の猟場のひとつでした。今の三河島一帯はすっかり住宅地となり鶴の猟場だった面影はないため、駅から徒歩3分、荒川区の天然記念物にも指定された藤の巨木「藤の大滝」の様子を掲載しました。
三河島は現在の荒川区東日暮里にあたり、荒川がたびたび氾濫する湿地帯だったため、江戸時代は将軍家の放鷹地・鶴の保護区として利用されました。安政4年(1857)閏5月の作。今はJR常磐線三河島駅周辺の住宅地です。
出典・参考:https://edohanga.jp/one_hundred_famous_views_of_edo/minowa_kanasugi_and_mikawashima/