日本橋・京橋ルートの9景
第1景 図版番号 54 安政5年(1858)4月
大てんま町木綿店(おおでんまちょうもめんだな)
歌川広重「名所江戸百景 大てんま町木綿店」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Suikotei, Wikimedia Commons(CC BY 4.0)
| いまの場所 | 日本橋大伝馬町 |
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| 住所 | 中央区日本橋大伝馬町 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅から徒歩3分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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反物を担いだ商人たちが行き交う、木綿問屋が軒を連ねた大伝馬町の通りを描いた一枚。同じ大伝馬町を描いた「こふく店」(このルートの別の一景)とは扱う商品が異なり、木綿と絹、江戸の呉服商売の奥行きを伝えています。木綿問屋が軒を連ねた町並みは残っていませんが、町名と繊維卸の商いが続く日本橋大伝馬町を現在地としています。
大伝馬町は幕府の伝馬(公用の馬継ぎ)を差配した名主・馬込勘解由の名にちなむ町。木綿店・こふく店とも呼ばれた問屋街は、慶長年間から続く江戸有数の商業地でした。安政5年(1858)4月、シリーズの中でも遅い時期に制作された一枚です。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E5%A4%A7%E4%BC%9D%E9%A6%AC%E7%94%BA
第2景 図版番号 59 安政5年(1858)7月
大伝馬町こふく店(おおでんまちょうごふくだな)
歌川広重「名所江戸百景 大伝馬町こふく店」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Suikotei, Wikimedia Commons(CC BY 4.0)
| いまの場所 | 日本橋大伝馬町 |
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| 住所 | 中央区日本橋大伝馬町 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ日比谷線 小伝馬町駅から徒歩3分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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呉服商・大丸の店先を、木遣りを歌いながら練り歩く鳶職たちの祝賀行列。新築の棟上げを終えた「棟梁送り」の祝いで、大きな纏や梯子を掲げた威勢の良い姿が描かれています。関東大震災と戦災で江戸の街並みは失われましたが、今も繊維卸の店が点在するこの町一帯を現在地としています。
大伝馬町の名は、慶長年間にこの地で幕府の伝馬(公用の馬による飛脚)を差配した名主・馬込勘解由に由来します。以後、木綿や呉服を扱う問屋が軒を連ねる江戸有数の商業地となり、明治以降も繊維卸の街として発展しました。関東大震災と東京大空襲で江戸期の街並みは失われましたが、今も繊維関連の卸商が点在しています。
あわせて寄りたい:十思公園(吉田松陰終焉の地)徒歩5分ほど
江戸時代の伝馬町牢屋敷跡に作られた公園。幕末の思想家・吉田松陰が安政の大獄で処刑された場所として知られ、園内に記念碑が立っています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%9D%E9%A6%AC%E7%94%BA
第3景 図版番号 53 安政3年(1856)9月
する賀てふ(するがちょう)
歌川広重「名所江戸百景 する賀てふ」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Kakidai, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)越後屋から続く三越本店の街角
| いまの場所 | 日本橋室町(三越前) |
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| 住所 | 中央区日本橋室町1丁目 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ銀座線・半蔵門線 三越前駅からすぐ |
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| 滞在の目安 | 約15分 |
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越後屋(現・三越)の屋根越しに富士山を望む、江戸随一と謳われた眺め。街の名は駿河国(するがのくに)がよく見えることに由来し、両側に大きく描かれた越後屋の暖簾が通りの主役です。描かれた越後屋は今の三越へと続いており、同じ場所に建つ日本橋三越本店の周辺を現在地としています。
越後屋は延宝元年(1673)、三井高利が創業した呉服店。それまでの「掛け売り・訪問販売」が当たり前だった商習慣に対し、「店先現金売り・正札販売(値切り交渉なし)」という革新的な商法を持ち込み、江戸中の評判を呼びました。この越後屋こそが、後の三越百貨店、そして三井財閥のルーツです。
あわせて寄りたい:福徳神社(芽吹稲荷)徒歩2分ほど
貞観年間からと伝わる古社。徳川秀忠が参詣した際、鳥居に若芽が芽吹いていたことから「芽吹稲荷」とも呼ばれます。2014年、再開発にあわせて社殿が新しくなりました。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%B6%8A
第4景 図版番号 74 安政4年(1857)7月
市中繁栄七夕祭(しちゅうはんえいたなばたまつり)
歌川広重「名所江戸百景 市中繁栄七夕祭」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Kentin, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)コレド室町周辺の仲通り
| いまの場所 | 日本橋室町(コレド室町周辺) |
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| 住所 | 中央区日本橋室町 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ銀座線・半蔵門線 三越前駅から徒歩1分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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屋根より高く掲げられた七夕飾りの向こうに富士山、右手には江戸城を望む一枚。この構図、実は広重自身の自宅(日本橋大鋸町)からの眺めだったと伝わります。七夕飾りが揺れた商家の町並みは失われましたが、日本橋の中心部として賑わいを受け継ぐ日本橋室町一帯を現在地としています。
瓢箪や西瓜などの飾りが揺れる、江戸っ子憧れの七夕風景。今の五節句の七夕とは比べ物にならない賑わいで、商家の娘たちが技芸上達を願って短冊を吊るしました。広重最晩年の作で、自邸の窓からの眺めを名所絵に仕立てるという、シリーズならではの遊び心が光ります。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E6%89%80%E6%B1%9F%E6%88%B8%E7%99%BE%E6%99%AF
第5景 図版番号 1 安政3年(1856)5月
日本橋雪晴(にほんばしゆきばれ)
歌川広重「名所江戸百景 日本橋雪晴」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Nihonbashi 12.jpg (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)日本橋の橋上と麒麟像
| いまの場所 | 日本橋 |
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| 住所 | 中央区日本橋 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ 三越前駅・日本橋駅からすぐ |
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| 滞在の目安 | 約15分 |
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百景シリーズの巻頭を飾る一枚。雪晴れの朝、日本橋の向こうに江戸城と富士山を望む構図で、魚河岸へ急ぐ船が行き交う「江戸の台所」の活気ある一日の始まりを描いています。今の石橋は明治44年(1911)のものですが、橋の中央には「日本国道路元標」が埋め込まれ、五街道の起点という役割は変わっていません。
日本橋は慶長8年(1603)、徳川家康が幕府を開いたのと同じ年に架けられました。以後、東海道をはじめ五街道すべての起点「里程元標」と定められ、文字通り日本の道路網の中心地となります。現在の石造りの橋は明治44年(1911)完成のもので、頭上を首都高速道路が覆う姿は1964年東京五輪に向けた突貫工事の名残です。橋の中央には今も「日本国道路元標」が埋め込まれています。
あわせて寄りたい:日本銀行本店徒歩5分ほど
明治29年(1896)竣工、辰野金吾設計のネオバロック様式建築。日本橋川沿いに立つその姿は、江戸の金融の中心地だったこの一帯の記憶を今に伝えます。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA)
第6景 図版番号 28 安政4年(1857)10月
鎧の渡し小網町(よろいのわたしこあみちょう)
歌川広重「名所江戸百景 鎧の渡し小網町」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by 妖精書士, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)鎧橋の銘板と日本橋川沿い
| いまの場所 | 鎧橋(日本橋小網町・兜町) |
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| 住所 | 中央区日本橋小網町 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ東西線・日比谷線 茅場町駅から徒歩5分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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橋のなかった日本橋川を渡る「鎧の渡し」の渡船場を描いた一枚。手前の小網町には問屋の蔵が建ち並び、荷を積んだ渡し船が対岸の茅場町方面へと行き交っています。渡し船は明治5年(1872)に鎧橋へ架け替えられて役目を終えましたが、川を渡るその地点は変わらないため、今の鎧橋を現在地としています。
「鎧の渡し」の名は、後三年の役で嵐に遭った源義家が鎧を川に投げ入れて水を鎮めたという伝説に由来すると伝わります。渡し船は明治5年(1872)、日本初期の西洋式鉄橋のひとつ「鎧橋」に架け替えられ、渡し場としての役目を終えました。現在の橋は昭和32年(1957)の架け替えで、すぐそばの兜町は東京証券取引所を擁する日本の金融の中心地として発展しています。
あわせて寄りたい:兜神社徒歩5分ほど
東京証券取引所のすぐそばに鎮座する、証券界の守護神。かつて源義家が兜を埋めたという「兜岩」の伝説にちなむ神社で、商売繁盛を願う参拝者が絶えません。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%A7%E6%A9%8B
第7景 図版番号 4 安政3年(1856)8月
八ツ見のはし(やつみのはし)
歌川広重「名所江戸百景 八ツ見のはし」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Katorisi, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)
| いまの場所 | 一石橋 |
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| 住所 | 中央区八重洲1丁目・日本橋本石町1丁目 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ 大手町駅・JR東京駅から徒歩5分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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一石橋の上から見渡すと、外堀の呉服橋・鍛冶橋、道三堀の銭瓶橋・道三橋、そして北に常盤橋、西に日本橋、東に江戸橋と、一度に8つもの橋が見えたことから「八ツ見のはし」と呼ばれました。今の橋は大正11年(1922)築ですが、橋詰には安政4年(1857)建立の「迷子しらせ石標」が今も残り、絵と同じ時代の名残を見ることができます。
橋の名「一石橋」は洒落から来ています。橋の両岸にそれぞれ屋敷を構えていた後藤庄三郎(金座)と後藤対馬守という、共に「後藤」姓の人物が費用を出し合って架けたことから、「五斗+五斗=一石」の語呂合わせで名付けられたと伝わります。現在の橋は大正11年(1922)築。橋詰には安政4年(1857)建立の「迷子しらせ石標」が今も残り、迷子を探す親が貼り紙をした江戸の掲示板として使われていました。
あわせて寄りたい:常盤橋公園徒歩3分ほど
日本橋川に架かる常盤橋門跡と、渋沢栄一の銅像がある公園。江戸城外堀の枡形門の石垣が今も残り、江戸時代の面影を伝える貴重な史跡です。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%9F%B3%E6%A9%8B
第8景 図版番号 114 安政4年(1857)12月
京橋竹がし(きょうばしたけがし)
歌川広重「名所江戸百景 京橋竹がし」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Aimaimyi, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)
| いまの場所 | 京橋 |
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| 住所 | 中央区京橋 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ銀座線 京橋駅からすぐ |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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京橋のたもと、竹河岸に積み上げられた大量の竹材を月明かりが照らす一枚。江戸中の建材や生活用品に使われた竹を扱う問屋が並び、水運の要所として賑わっていました。京橋川は昭和34年(1959)に埋め立てられ橋も撤去されましたが、橋詰に明治8年(1875)の親柱が保存されているため、その地点を現在地としています。
京橋は慶長8年(1603)、日本橋の翌年に架けられた橋で、東海道を京都・上方へ向かう最初の橋であったことからこの名がつきました。橋が架かっていた京橋川は昭和34年(1959)に埋め立てられて姿を消し、橋自体も撤去されましたが、橋詰には明治8年(1875)建造の親柱(橋の欄干の柱)が今も保存されています。
あわせて寄りたい:警察博物館徒歩3分ほど
警視庁の歴史や活動を紹介する博物館。パトカーやヘリコプターの実物展示もあり、子供から大人まで楽しめる無料スポットです。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%A9%8B_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD)
第9景 図版番号 78 安政5年(1858)10月
びくにはし雪中(びくにばしせっちゅう)
歌川広重「名所江戸百景 びくにはし雪中」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Souka Kinmei, Wikimedia Commons(CC BY 4.0)
| いまの場所 | 数寄屋橋交差点 |
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| 住所 | 中央区銀座5丁目 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ 銀座駅・有楽町駅からすぐ |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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外堀に架かるびくにはし(比丘尼橋)のたもと、雪の中で商う屋台を描いた一枚。「山くじら」の看板(猪肉を婉曲に表す隠語)が見え、殺生を憚りながらも肉食を楽しんだ江戸っ子の姿がうかがえます。外堀が埋め立てられてびくにはしは姿を消しましたが、すぐそばにあった数寄屋橋の名が交差点名として残るため、この場所を現在地としています。
びくにはしは外堀に架かっていた橋で、名の由来は付近に「比丘尼(尼僧姿の私娼)」を置く水茶屋があったためと伝わります。外堀は昭和になって埋め立てられ、橋も姿を消しましたが、すぐそばにあった数寄屋橋の名だけが交差点名として残り、現在は銀座を代表する待ち合わせスポットのひとつになっています。
あわせて寄りたい:数寄屋橋公園(若い時計台)徒歩1分ほど
岡本太郎作の彫刻「若い時計台」が立つ小さな公園。数寄屋橋ライオンズクラブから中央区へ寄贈されたもので、夜はライトアップされます。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AF%84%E5%B1%8B%E6%A9%8B