台東区(千束・浅草・蔵前)

浅草ルート

吉原・鷲神社のあたりから浅草寺・隅田川沿いを通り、蔵前まで歩くルート。

景の数7景
出発東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅
到着都営浅草線・都営大江戸線 蔵前駅
歩く距離約6.5km(寄り道を除く)
所要の目安歩き約79分+各所の滞在
泊まるなら浅草・上野 浅草寺の門前町。早朝の仲見世は人が少なく、宿泊者だけの特権です。
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Theme:祈りと遊びの町

浅草寺の観音様にお参りする「祈り」の顔と、芝居町・猿若町や遊里・吉原が作り出す「遊び」の顔。ふたつがすぐ隣り合っているのが、江戸随一の繁華街だった浅草エリアの面白いところです。第2弾はここから始めます。

歩く順番

  1. 第1景 よし原日本堤日本堤(通り名として名残)
  2. 第2景 浅草田甫酉の町詣鷲神社
  3. 第3景 猿わか町よるの景猿若町跡(現・浅草6丁目、浅草演芸ホール周辺)
  4. 第4景 浅草金龍山浅草寺・雷門
  5. 第5景 真乳山山谷堀夜景待乳山聖天(本龍院)
  6. 第6景 吾妻橋金龍山遠望吾妻橋
  7. 第7景 浅草川首尾の松御厩河岸首尾の松(石碑・復元)

浮世絵は歌川広重「名所江戸百景」(安政3〜6年、1856〜1859)。図版番号は太田記念美術館の展示リスト番号を便宜上使っています。住所・最寄り駅は各社寺・自治体の公開情報にもとづく目安です。

浅草ルートの7景

第1景 図版番号 109 安政4年(1857)4月

よし原日本堤(よしわらにほんづつみ)

歌川広重「名所江戸百景 よし原日本堤」
歌川広重「名所江戸百景 よし原日本堤」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
いまの場所日本堤(通り名として名残)
住所台東区日本堤・千束エリア
最寄り駅東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅から徒歩10分
滞在の目安約10分

吉原へと続く土手道「日本堤」を描いた一枚。駕籠に乗った客たちが、田んぼの中を一直線に延びる堤を進んでいく構図で、これから遊里へ向かう高揚感と、まわりの静かな田園風景の対比が印象的です。吉原はもともと日本橋にありましたが、明暦の大火(1657)を機にこの地へ移転。堤そのものは今はなく、「日本堤」という通り名にその記憶が残るのみです。

吉原はもともと日本橋人形町にありましたが、明暦の大火(1657)で焼け出されたのを機に、当時はまだ田んぼが広がるだけだったこの浅草の地へ移転しました。以後「新吉原」として、幕末まで200年以上にわたり江戸最大の遊里であり続けます。周囲を堀で囲み、出入り口は日本堤に面した大門ひとつだけという、逃亡を防ぐための閉ざされた作りでした。

あわせて寄りたい:吉原神社徒歩5分ほど

新吉原の四隅にあった稲荷社をまとめて祀る神社。花魁たちの参拝の記録も残る、遊里の守り神です。

出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%8E%9F_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD)

第2景 図版番号 5 安政4年(1857)11月

浅草田甫酉の町詣(あさくさたんぼとりのまちもうで)

歌川広重「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」
歌川広重「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
鷲神社の現在の様子
Photo by Jerry fish tkc, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)
いまの場所鷲神社
住所台東区千束3-18-7
最寄り駅東京メトロ日比谷線 入谷駅から徒歩7分
滞在の目安約15分

吉原の見世(遊女屋)の二階から、田んぼ越しに鷲神社の「酉の市」へ向かう人々を見下ろす構図。窓辺には遊女の後ろ姿と衣紋掛けの着物が描かれ、遊郭の中から外の賑わいを眺めるという、少し切ない視点が特徴的です。鷲神社は今も同じ場所に鎮座し、11月の酉の市には絵と同じように熊手を売る屋台が境内を埋め尽くします。

鷲神社の「酉の市」は江戸時代から続く年中行事で、開運招福の縁起物「熊手」を売る屋台が、今も11月の酉の日に境内を埋め尽くします。このすぐ近くの竜泉という町は、のちに小説家・樋口一葉が「たけくらべ」の舞台とした場所でもあります。一葉自身、吉原のそばで荒物・雑貨屋を営みながらこの作品を書き上げました。

あわせて寄りたい:一葉記念館徒歩10分ほど

「たけくらべ」を書いた樋口一葉の資料を集めた記念館。一葉が実際にこの近くで暮らし、店を営んでいた縁の地に建っています。

出典・参考:https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=9738

第3景 図版番号 107 安政3年(1856)9月

猿わか町よるの景(さるわかちょうよるのけい)

歌川広重「名所江戸百景 猿わか町よるの景」
歌川広重「名所江戸百景 猿わか町よるの景」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
猿若町跡(現・浅草6丁目、浅草演芸ホール周辺)の現在の様子
Photo by Kentin, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)
いまの場所猿若町跡(現・浅草6丁目、浅草演芸ホール周辺)
住所台東区浅草6丁目
最寄り駅東京メトロ銀座線 浅草駅から徒歩10分
滞在の目安約10分

芝居小屋の看板行灯が夜空に浮かび上がる、猿若町の賑わいを描いた一枚。芝居がはねた後の高揚感と、江戸随一の芝居町の熱気が伝わってきます。芝居町自体は天保の改革(1841)でこの地に強制移転させられたもので、今は住宅地に姿を変えていますが、一角に残る浅草演芸ホールが、かつての芝居町の灯を今もともし続けています。

この町名は、江戸歌舞伎の創始者・猿若勘三郎(初代中村勘三郎、1624年に江戸で最初の芝居小屋を開いた人物)にちなみます。老中・水野忠邦による天保の改革(1841)で風紀を乱すとされた中村座・市村座などの芝居小屋が、まとめてこの地へ強制移転させられ「猿若町」と名付けられました。現在は住宅地ですが、一角には浅草演芸ホールが今も演芸の灯をともし続けています。

あわせて寄りたい:浅草花やしき徒歩5分ほど

嘉永6年(1853)開園、日本最古の遊園地。当初は牡丹や菊細工を楽しむ花園として始まりました。170年以上経った今も現役です。

出典・参考:https://gekkan-asakusa.com/asakusa-rokku-geinouden28/2/

第4景 図版番号 9 安政3年(1856)7月

浅草金龍山(あさくさきんりゅうざん)

歌川広重「名所江戸百景 浅草金龍山」
歌川広重「名所江戸百景 浅草金龍山」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
浅草寺・雷門の現在の様子
Photo by Tak1701d, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)
いまの場所浅草寺・雷門
住所台東区浅草2-3-1
最寄り駅東京メトロ銀座線・都営浅草線 浅草駅からすぐ
滞在の目安約30分

雷門の大提灯と仁王門、五重塔を画面いっぱいに配し、白と朱の対比で浅草寺の門前を印象的に描いた一枚。広重晩年らしい大胆な構図で、江戸随一の観音霊場の風格を伝えています。浅草寺は1400年近く同じ場所にあり、雷門から仲見世を抜けて本堂へ向かう道筋も絵のままです。

浅草寺の始まりは推古天皇36年(628)、隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成の兄弟の網に観音像がかかり、里長の土師中知がこれを祀ったのが起源と伝わります。以来1400年近く「浅草観音」として親しまれ、雷門から本堂まで続く仲見世通りは、日本最古の商店街のひとつに数えられています。

あわせて寄りたい:仲見世商店街雷門から本堂まで徒歩5分

雷門から浅草寺本堂まで続く、日本最古級の商店街。人形焼きや雷おこしなど、食べ歩きの店が軒を連ねます。

出典・参考:https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004025/

第5景 図版番号 112 安政4年(1857)8月

真乳山山谷堀夜景(まっちやまさんやぼりやけい)

歌川広重「名所江戸百景 真乳山山谷堀夜景」
歌川広重「名所江戸百景 真乳山山谷堀夜景」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
待乳山聖天(本龍院)の現在の様子
Photo by あばさー, Wikimedia Commons(Public Domain)
いまの場所待乳山聖天(本龍院)
住所台東区浅草7-4-1
最寄り駅都営浅草線・東武線 浅草駅から徒歩10分
滞在の目安約15分

隅田川沿いの小高い丘・待乳山と、そこに注ぐ山谷堀の夜景を描いた一枚。山谷堀は吉原へ舟で向かう客たちの水路としても使われ、川面に映る灯りが夜の情緒を引き立てています。舟が行き交った山谷堀は埋め立てられて遊歩道になりましたが、待乳山聖天は同じ丘の上に残っているため、ここを現在地としています。

待乳山聖天(本龍院)は、推古天皇3年(595)にこの丘が一夜にして湧き出たという伝説を持つお寺です。祀られている歓喜天は夫婦和合や商売繁盛の神様とされ、お供えの大根と、財運を象徴する巾着が名物になっています。かつて舟で行き来した山谷堀は、今では埋め立てられて山谷堀公園という遊歩道になっています。

あわせて寄りたい:今戸神社徒歩5分ほど

招き猫発祥の地のひとつとされる神社。狛犬ならぬ一対の招き猫が出迎えてくれます。

出典・参考:https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004062/

第6景 図版番号 34 安政4年(1857)8月

吾妻橋金龍山遠望(あづまばしきんりゅうざんえんぼう)

歌川広重「名所江戸百景 吾妻橋金龍山遠望」
歌川広重「名所江戸百景 吾妻橋金龍山遠望」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
吾妻橋の現在の様子
Photo by Kakidai, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)
いまの場所吾妻橋
住所台東区花川戸1丁目・墨田区吾妻橋1丁目
最寄り駅東京メトロ銀座線・都営浅草線 浅草駅から徒歩5分
滞在の目安約10分

吾妻橋の上から隅田川越しに浅草寺(金龍山)を遠望する構図。橋を渡る人々の姿とともに、対岸に浮かぶ五重塔が江戸屈指の名所であったことを物語っています。今の橋は昭和6年(1931)の架け替えですが、渡る地点は変わらず、対岸には絵の五重塔の代わりに東京スカイツリーが見えます。

吾妻橋は安永3年(1774)、町人たちの出資によって架けられた橋です。隅田川に公式な橋を架けることに幕府が慎重だった時代、江戸で最後発の大橋としてこの地に生まれ、当時は「大川橋」とも呼ばれていました。現在の橋は昭和6年(1931)に架け替えられたもので、対岸には東京スカイツリーを望むこともできます。

あわせて寄りたい:すみだ公園橋を渡ってすぐ

隅田川沿いに広がる公園。桜の名所としても知られ、対岸のアサヒビール本社や東京スカイツリーを一望できます。

出典・参考:https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004110/

第7景 図版番号 111 安政3年(1856)8月

浅草川首尾の松御厩河岸(あさくさがわしゅびのまつおうまやがし)

歌川広重「名所江戸百景 浅草川首尾の松御厩河岸」
歌川広重「名所江戸百景 浅草川首尾の松御厩河岸」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
いまの場所首尾の松(石碑・復元)
住所台東区蔵前・隅田川沿い
最寄り駅都営浅草線・都営大江戸線 蔵前駅から徒歩8分
滞在の目安約10分

御厩河岸のたもとに枝を広げる「首尾の松」越しに、満天の星と隅田川を行き交う舟を描いた一枚。すだれを下ろした屋根舟に人影がうっすらと浮かび、水辺の密やかな逢瀬を思わせる情緒的な構図です。松自体は失われ、今は厩橋のたもとに石碑と復元の松が残るのみ。かつての蔵前の面影を伝える場所として、この地を選んでいます。

「首尾の松」の名は、舟で吉原へ向かう客たちがこの松の下で今宵の首尾(遊びがうまくいくかどうか)を語り合ったことに由来すると伝わります。松のあった御厩河岸は、幕府の米蔵(浅草御蔵)に囲われた倉庫街・蔵前の一角でした。現在は厩橋のたもとに石碑と復元の松が残るのみですが、蔵前は近年、紙や雑貨の店が集まるおしゃれな町として生まれ変わっています。

あわせて寄りたい:蔵前神社徒歩10分ほど

江戸時代、勧進相撲がここでも行われたと伝わる神社。蔵前が「もうひとつの相撲の町」だった記憶を今に伝えます。

出典・参考:https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004045/

このルートのグルメ

電気ブラン
Photo, Wikimedia Commons(CC BY 2.0)

電気ブラン 神谷バー

明治13年(1880)創業、日本で最初の洋風バー。ブランデーをベースにした名物カクテル「電気ブラン」は、電気が珍しかった時代に「新しいもの」の象徴としてこの名がつきました。

台東区浅草1-1-1

公式・参考
どぜう鍋
Photo, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)

どぜう鍋 駒形どぜう

享和元年(1801)創業。どじょうを丸ごと甘辛く煮込む「どぜう鍋」一筋の老舗。畳に座って鍋をつつく、江戸の庶民の味そのままの食べ方が今も守られています。

台東区雷門周辺(駒形)

公式・参考
粟ぜんざい
Photo by Kentin, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

粟ぜんざい 浅草 梅園

安政元年(1854)創業、元祖あわぜんざいの甘味処。浅草寺の塔頭「梅園院」の一角にあったのが店名の由来です。

台東区浅草1-31-12

公式・参考

ほかのルート