本所・両国・亀戸ルートの7景
第1景 図版番号 41 安政4年(1857)閏5月
両ごく回向院元柳橋(りょうごくえこういんもとやなぎばし)
歌川広重「名所江戸百景 両ごく回向院元柳橋」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Morio, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)回向院の山門から参道、力塚まで
| いまの場所 | 回向院 |
|---|
| 住所 | 墨田区両国2-8-10 |
|---|
| 最寄り駅 | JR両国駅から徒歩3分 |
|---|
| 滞在の目安 | 約15分 |
|---|
高さ約17メートル、ビル5階分はある巨大な櫓太鼓——相撲の本場所開催を知らせるこの櫓を手前に大きく配し、隅田川越しに両岸の町並みと富士山を見渡す俯瞰構図。安政4年(1857)は前年の大地震・台風から立ち直る途中の年で、広重は相撲という「日常が戻ってきた」象徴に、江戸の人々への応援歌を重ねたと言われています。描かれた櫓太鼓は今はありませんが、回向院そのものは同じ場所に建ち続けているため、その境内を現在地としています。
明暦の大火(1657)の無縁仏を弔うために建てられた回向院では、江戸勧進相撲が年2回の恒例行事として開催されました。生涯成績254勝10敗、勝率9割6分という空前絶後の記録を残し「史上最強の力士」とも称される雷電為右衛門も、21年の現役生活でこの土俵に何度も上がっています。ここが今の大相撲・両国国技館へとつながる系譜の原点です。
あわせて寄りたい:両国国技館徒歩5分ほど
大相撲の本場所が開かれる、相撲の殿堂。回向院の勧進相撲から続く歴史の「今」を見に行けます。
出典・参考:https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004104/
第2景 図版番号 99 安政3年(1856)8月
両国橋大川ばた(りょうごくばしおおかわばた)
歌川広重「名所江戸百景 両国橋大川ばた」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Ryu ohsako, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)両国橋の親柱から隅田川の眺めまで
| いまの場所 | 両国橋 |
|---|
| 住所 | 西岸: 中央区東日本橋2丁目 / 東岸: 墨田区両国1丁目 |
|---|
| 最寄り駅 | JR/都営 両国駅から徒歩5分 |
|---|
| 滞在の目安 | 約10分 |
|---|
両国広小路からの俯瞰で、両国橋を画面中央に据え、隅田川上流や本所・向島方面を望む大胆な構成。旧暦5月28日から8月28日までの夕涼み期間、火除け地に立ち並んだ葦簀張りの茶屋や見世物小屋で賑わう、江戸一番の夏の盛り場の光景が描かれています。橋は何度も架け替えられましたが、隅田川を渡すその地点はほとんど変わらないため、今の両国橋を現在地としています。
この橋が架けられたきっかけは、江戸史上最大の大火・明暦の大火(1657)。恋煩いで亡くなった娘の振袖を焼いた寺の炎が強風で燃え広がった、という「振袖火事」の伝説でも知られるこの大火では、逃げ場を失った人々が隅田川に阻まれて命を落としました。その教訓から架けられたのが両国橋。悲劇から生まれた橋が江戸一番の歓楽街に育つという、たくましいサクセスストーリーです。
あわせて寄りたい:すみだ北斎美術館徒歩5〜9分
両国生まれの浮世絵師・葛飾北斎の美術館。広重のライバルであり、この先の五百羅漢さゞゐ堂を違う角度から描いた北斎の仕事をまとめて見られます。
出典・参考:https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004068/
第3景 図版番号 113 安政5年(1858)8月
両国花火(りょうごくはなび)
歌川広重「名所江戸百景 両国花火」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by てんどん, Wikimedia Commons(CC BY 2.1 Japan)
| いまの場所 | 隅田川花火大会(会場は移動) |
|---|
| 住所 | 現在の主会場は両国橋よりやや上流の浅草・駒形橋〜厩橋周辺、桜橋〜言問橋周辺 |
|---|
| 最寄り駅 | 両国橋周辺 / 会場は浅草・蔵前方面 |
|---|
| 滞在の目安 | 約5分 |
|---|
夜空の花火と、それを見上げる無数の屋形船・涼み船で埋め尽くされた隅田川。写真もSNSもない時代、この一瞬の輝きをどう伝えるか——広重が選んだ答えが、この賑やかな水面の一枚でした。花火大会そのものは今も続いていますが、会場は昭和53年(1978)の復活時に上流の浅草方面へ移ったため、写真は現在の会場の様子です。
始まりは享保18年(1733)、8代将軍・徳川吉宗の命による「両国川開き」。前年の享保の大飢饉と疫病で亡くなった人々の慰霊と厄除けを願って打ち上げられた鎮魂の花火が、いつしか江戸随一の納涼イベントに育ちました。昭和36年(1961)に一旦中断し、昭和53年(1978)に隅田川花火大会として復活しましたが、会場は両国から上流の浅草方面へ移りました。
あわせて寄りたい:江戸東京博物館徒歩1〜3分
2026年3月末に4年越しのリニューアルオープンをしたばかりの、江戸から東京への歴史をまるごと体感できるミュージアム。ちょうど今、行くのに良いタイミングです。
出典・参考:https://www.sumidagawa-hanabi.com/about/
第4景 図版番号 88 安政4年(1857)8月
五百羅漢さゞゐ堂(ごひゃくらかんさざえどう)
歌川広重「名所江戸百景 五百羅漢さゞゐ堂」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by あばさー, Wikimedia Commons(Public Domain)
| いまの場所 | 羅漢寺(名跡のみ。名所江戸百景当時の五百羅漢像は現・天恩山五百羅漢寺(目黒区)へ移転) |
|---|
| 住所 | 江東区大島3-1-8 |
|---|
| 最寄り駅 | 都営新宿線 西大島駅すぐ |
|---|
| 滞在の目安 | 約10分 |
|---|
サザエの殻のように、内部がぐるぐる三層のらせん状になった変わり種のお堂。上りきった最上階からは江戸の町並みが一望でき、あの葛飾北斎までもがこの絶景に魅せられて絵にしたほどの人気展望スポットでした。五百羅漢像は明治42年(1909)、目黒(現・天恩山五百羅漢寺)へ引っ越してしまい、今の場所には別のお寺(羅漢寺)が入っています。いわば「テナントが入れ替わった」状態ですが、地名と場所の記憶を伝える場所として現在地を選んでいます。
「本所のらかんさん」として親しまれたこのお寺は、たび重なる水害に見舞われて衰退。明治42年(1909)、五百羅漢像ごと目黒へ引っ越してしまいました(現在の天恩山五百羅漢寺)。今の場所には後から別のお寺(羅漢寺)が入居している、いわば「テナントが入れ替わった」状態です。
あわせて寄りたい:大島稲荷神社少し足を伸ばして
松尾芭蕉が詠んだ句の碑「女木塚碑」が残る神社。津波の記憶と、芭蕉ゆかりの土地としての顔をあわせ持ちます。
出典・参考:https://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/bunkazaisiseki/shiseki/16117.html
第5景 図版番号 21 安政3年(1856)7月
亀戸天神境内(かめいどてんじんけいだい)
歌川広重「名所江戸百景 亀戸天神境内」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Takuro1202, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)
| いまの場所 | 亀戸天神社 |
|---|
| 住所 | 江東区亀戸3-6-1 |
|---|
| 最寄り駅 | JR/東武亀戸線 亀戸駅から徒歩15分、または錦糸町駅からバス |
|---|
| 滞在の目安 | 約20分 |
|---|
太鼓橋を、恐る恐る手をつないで降りる母子——広重は名所の建物だけでなく、そこに暮らす人々の何気ない一瞬もちゃんと拾い上げています。境内の藤棚と合わせ、春の亀戸天神の華やかさを伝える一枚です。広重が描いた太鼓橋と藤棚は今もほぼ同じ姿で残っており、絵とほとんど変わらない場所に立つことができます。
祀られているのは学問の神様・菅原道真。平安時代の右大臣でありながら政争に敗れて九州・太宰府に左遷され、失意のうちに没した後、都で災いが相次いだため「祟り」を鎮めるべく神格化されたという、なかなかドラマチックな経歴の持ち主です。社殿の造りが太宰府天満宮そっくりなことから「東宰府天満宮」の別名も。広重が描いた太鼓橋と藤棚は、今も春の藤まつりの時期にほぼ同じ姿で参拝者を迎えています。
あわせて寄りたい:亀戸香取神社徒歩10分ほど
「スポーツ振興の神様」として、多くのアスリートが必勝祈願に訪れる神社。亀戸天神からさらに足を延ばす価値ありです。
出典・参考:https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004001/
第6景 図版番号 2 安政4年(1857)11月
亀戸梅屋舗(かめいどうめやしき)
歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Souka Kinmei, Wikimedia Commons(CC0)
| いまの場所 | 梅屋敷跡の碑(北十間川沿い) / 亀戸梅屋敷(観光施設) |
|---|
| 住所 | 碑: 江東区亀戸3丁目 北十間川沿い / 観光施設: 江東区亀戸4-18-8 |
|---|
| 最寄り駅 | 亀戸駅北口から徒歩5分 |
|---|
| 滞在の目安 | 約15分 |
|---|
地を這う龍のような枝ぶりから「臥龍梅」と呼ばれた奇木を、画面いっぱいにクローズアップ。この思い切った構図に世界が反応し、印象派の巨匠ゴッホがわざわざ油絵で模写したことでも有名です。名所江戸百景の中でも、海外での知名度はナンバーワンかもしれません。名木「臥龍梅」自体は明治43年(1910)の水害で失われ、今は跡地の碑と、少し離れた「亀戸梅屋敷」という観光施設が、その記憶を伝えています。
「臥龍梅」の名付け親は、あの水戸黄門こと徳川光圀と伝わります。庭を訪れた光圀が、地面を這うような枝ぶりを見て「まるで龍が伏せているようだ」と名付けたのだとか。将軍家ゆかりの銘木も、明治43年(1910)の水害であっけなく失われましたが、跡地には碑が、少し離れた場所には「亀戸梅屋敷」という観光施設が作られ、往時の記憶を今に伝えています。
あわせて寄りたい:龍眼寺(萩寺)交差点の向かい
亀戸梅屋敷の交差点のすぐ向かい。江戸時代から「萩寺」として親しまれ、秋には百種の萩が咲き誇ります。亀戸七福神の布袋尊も祀られています。
出典・参考:https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004030/
第7景 図版番号 56 安政4年(1857)4月
柳しま(やなぎしま)
歌川広重「名所江戸百景 柳しま」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Kentin, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)
| いまの場所 | 法性寺(柳嶋妙見堂)・十間橋周辺 |
|---|
| 住所 | 墨田区業平5丁目 |
|---|
| 最寄り駅 | 東京メトロ半蔵門線・京成押上線 押上駅から徒歩8分 |
|---|
| 滞在の目安 | 約10分 |
|---|
北十間川と横十間川が交わる柳島の一角、料亭「橋本」の灯りと、木々に隠れた妙見堂を描いた一枚。奥には筑波山ものぞく、のどかな郊外風景です。料亭「橋本」は失われましたが、柳島の妙見様として親しまれた法性寺は今も墨田区業平に残るため、この一帯を現在地としています。
柳島は葛飾郡柳島村にちなむ地名で、柳島の妙見様として親しまれた法性寺(柳嶋妙見堂)が今も墨田区業平に残ります。すぐそばの十間橋からは、川面に映る「逆さスカイツリー」が人気の撮影スポットに。安政4年(1857)4月の作。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B3%B6_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD)