大森・羽田ルートの5景
第1景 図版番号 68 安政3年(1856)4月
品川御殿やま(しながわごてんやま)
歌川広重「名所江戸百景 品川御殿やま」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Goten-yama Hill, Kita Shinagawa 5Chome.jpg (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)
| いまの場所 | 御殿山庭園 |
|---|
| 住所 | 品川区北品川4-7-35 |
|---|
| 最寄り駅 | JR・京急 品川駅から徒歩12分 |
|---|
| 滞在の目安 | 約20分 |
|---|
満開の桜と、その向こうに広がる品川の海を描いた一枚。将軍の鷹狩り休憩所「御殿」があったことに由来するこの高台、幕末には黒船来航に備えた台場を築くため、山ごと大きく削り取られてしまいました。山は台場築造と鉄道敷設で大きく削られましたが、一部が「御殿山庭園」として整備され、往時の高台の緑を今に伝えています。
御殿山は徳川将軍家の御殿(鷹狩りの休憩所)が置かれたことに由来する地名で、江戸有数の桜の名所として賑わいました。幕末には黒船来航を受けて台場築造のため山が大きく削られ、明治以降も鉄道敷設でさらに姿を変えましたが、現在も一部が「御殿山庭園」として整備され、往時の高台の緑を今に伝えています。
出典・参考:https://oniwa.garden/gotenyama-garden-%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E5%B1%B1%E5%BA%AD%E5%9C%92/
第2景 図版番号 45 安政3年(1856)2月
千束の池袈裟懸松(せんぞくのいけけさけんまつ)
歌川広重「名所江戸百景 千束の池袈裟懸松」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
洗足池.jpg (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)
| いまの場所 | 洗足池 |
|---|
| 住所 | 大田区南千束2丁目 |
|---|
| 最寄り駅 | 東急池上線 洗足池駅から徒歩1分 |
|---|
| 滞在の目安 | 約15分 |
|---|
松の大木を主役に、日蓮上人が袈裟を掛けたと伝わる伝説を描いた一枚。千束の池は、日蓮が身延山から常陸へ向かう途中、足を洗って旅の疲れを癒したという伝説にちなむ名前です。千束の池は今の洗足池そのもので、周囲1キロほどの湧水池として変わらず残っているため、同じ池を掲載しています。
千束の池は現在の洗足池(大田区南千束)にあたり、東急池上線洗足池駅前に今も1キロほどの周囲を持つ湧水池として残っています。安政3年(1856)2月の作。
出典・参考:https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004093/
第3景 図版番号 67 安政3年(1856)5月
八景坂鎧掛松(はっけいざかよろいかけまつ)
歌川広重「名所江戸百景 八景坂鎧掛松」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by DoWhile, Wikimedia Commons(Public Domain)
| いまの場所 | 八景坂(大森貝塚遺跡庭園周辺) |
|---|
| 住所 | 大田区山王1丁目付近 |
|---|
| 最寄り駅 | JR 大森駅からすぐ |
|---|
| 滞在の目安 | 約15分 |
|---|
八景坂の頂にそびえる松の大木越しに、房総まで見晴らす一枚。この松、奥州へ向かう源義家が鎧を掛けて休んだという伝説から「鎧掛松」と名付けられました。鎧掛松は失われましたが、八景坂そのものは今も同じ場所に残り、坂のすぐ近くには大森貝塚遺跡庭園が整備されています。
「鎧掛松」の名は、後三年の役で奥州へ向かう源義家がこの松に鎧を掛けて休んだという伝説に由来すると伝わります。大森一帯は明治10年(1877)、アメリカ人動物学者エドワード・モースが列車の車窓から貝殻の層を発見したことで知られる「大森貝塚」の地でもあり、現在は坂のすぐ近くに大森貝塚遺跡庭園が整備されています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E8%B2%9D%E5%A1%9A
第4景 図版番号 6 安政4年(1857)2月
蒲田の梅園(かまたのうめぞの)
歌川広重「名所江戸百景 蒲田の梅園」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by C2revenge, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)
| いまの場所 | 蒲田(女塚神社周辺) |
|---|
| 住所 | 大田区西蒲田1丁目付近 |
|---|
| 最寄り駅 | JR・東急・京急 蒲田駅から徒歩15分 |
|---|
| 滞在の目安 | 約15分 |
|---|
白梅越しに梅見客で賑わう蒲田の梅園を見下ろす一枚。文政年間、薬屋の主人が自邸に植えた梅がいつしか評判を呼び、明治以降は皇族まで訪れる名所に育ちました。梅屋敷そのものは都市化で姿を消しましたが、周辺に残る女塚神社などが、この地の伝承と往時の面影をわずかに伝えています。
蒲田の梅屋敷は文政年間(1818-1830)に薬屋の主人が自邸に梅を植えたのが始まりと伝わり、明治以降も皇族や要人が訪れる名所として賑わいました。都市化とともに梅園は姿を消しましたが、周辺にはこの地の伝承にちなむ女塚神社などが今も残り、往時の面影をわずかに伝えています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E7%94%B0%E6%A2%85%E5%B1%8B%E6%95%B7%E8%B7%A1
第5景 図版番号 37 安政5年(1858)8月
はねたのわたし弁天の社(はねだのわたしべんてんのやしろ)
歌川広重「名所江戸百景 はねたのわたし弁天の社」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Aimaimyi, Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0 / GFDL)
| いまの場所 | 穴守稲荷神社 |
|---|
| 住所 | 大田区羽田5-2-7 |
|---|
| 最寄り駅 | 京急空港線 穴守稲荷駅から徒歩3分 |
|---|
| 滞在の目安 | 約20分 |
|---|
羽田の渡し舟と、海辺に鎮座する弁天の社を描いた一枚。実はこの近く、文化元年(1804)に堤防が高潮で決壊した際、村人が神様を祀ったのが穴守稲荷神社の始まりだと伝わります。弁天の社は、戦後の羽田飛行場拡張で元の社地を離れて現在地へ遷座しましたが、穴守稲荷神社として今も羽田で信仰を集めています。
羽田は江戸湾に面した漁師町で、対岸の川崎大師方面へ渡る「羽田の渡し」で知られました。文化元年(1804)、埋め立て地の堤防が高潮で決壊した際、村人が稲荷神を祀ったのが穴守稲荷神社の始まりです。戦後、羽田飛行場拡張のため元の社地は接収されましたが、現在地に遷座して今も信仰を集め、京急線の駅名にもその名を残しています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%B4%E5%AE%88%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE