目黒区

目黒ルート

中目黒駅から目黒駅・不動前駅まで、富士塚跡と目黒川沿いをめぐる散歩ルート。

景の数5景
出発東急東横線 中目黒駅
到着東急目黒線 不動前駅
歩く距離約6.9km(寄り道を除く)
所要の目安歩き約87分+各所の滞在
泊まるなら目黒・五反田 山手線沿いで移動が楽。目黒川沿いは桜の季節がとくに人気です。
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Theme:富士信仰と行楽の里

江戸郊外ののどかな行楽地・目黒。庶民が富士山を模した築山に登った「富士講」の信仰と、目黒不動尊への参詣で賑わった里の風景をたどります。

歩く順番

  1. 第1景 目黒新富士目黒新富士跡
  2. 第2景 目黒元不二上目黒氷川神社(浅間神社を合祀)
  3. 第3景 目黒千代か池千代が池跡
  4. 第4景 目黒太鼓橋夕日の岡太鼓橋(目黒川)
  5. 第5景 目黒爺々が茶屋目黒不動尊参道周辺

浮世絵は歌川広重「名所江戸百景」(安政3〜6年、1856〜1859)。図版番号は太田記念美術館の展示リスト番号を便宜上使っています。住所・最寄り駅は各社寺・自治体の公開情報にもとづく目安です。

目黒ルートの5景

第1景 図版番号 75 安政4年(1857)4月

目黒新富士(めぐろしんふじ)

歌川広重「名所江戸百景 目黒新富士」
歌川広重「名所江戸百景 目黒新富士」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
いまの場所目黒新富士跡
住所目黒区中目黒2丁目付近
最寄り駅東急東横線 中目黒駅から徒歩10分
滞在の目安約10分

文政12年(1829)、旗本・近藤重蔵が自邸に築いた人工の富士山「新富士」を描いた一枚。手前に築山を登る参詣者たち、奥に本物の富士山を配し、見立ての妙を楽しませる構図です。この人工の富士山は昭和34年(1959)まで残っていましたが、今は跡地に自然石が残るのみで、普通の住宅地に溶け込んでいます。

本物の富士山に登れない江戸庶民のために、富士山を模した小さな山(富士塚)を築いて疑似登山を叶えたのが「富士講」という信仰です。この新富士は昭和34年(1959)まで残っていましたが、現在は跡地に自然石が残るのみで、普通の住宅地に溶け込んでいます。

出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E5%AF%8C%E5%A3%AB

第2景 図版番号 76 安政4年(1857)4月

目黒元不二(めぐろもとふじ)

歌川広重「名所江戸百景 目黒元不二」
歌川広重「名所江戸百景 目黒元不二」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
上目黒氷川神社(浅間神社を合祀)の現在の様子
Photo by yamai36, Wikimedia Commons(CC BY 3.0)
いまの場所上目黒氷川神社(浅間神社を合祀)
住所目黒区大橋2-16-21
最寄り駅東急東横線・田園都市線 池尻大橋駅・中目黒駅から徒歩12分
滞在の目安約15分

文化9年(1812)、新富士より早く築かれた「元富士」を描いた一枚。新富士に対して「元祖」を名乗るその名の通り、坂の上にそびえる築山を仰ぎ見る構図です。元富士は取り壊され、山頂に祀られていた浅間神社は明治21年(1888)に上目黒氷川神社へ遷されたため、それを境内社として祀る同社を現在地としています。

目切坂の上に築かれたこの元富士は、新富士より17年古い、目黒で最初の富士塚でした。取り壊された後、明治21年(1888)に山頂に祀られていた浅間神社が近くの上目黒氷川神社に遷座し、今もその境内社として大切に祀られています。

あわせて寄りたい:目黒雅叙園徒歩15分ほど

昭和6年(1931)創業、絢爛豪華な装飾で知られる結婚式場・ホテル。「昭和の竜宮城」とも呼ばれた名建築の面影を今に伝えます。

出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E5%AF%8C%E5%A3%AB

第3景 図版番号 94 安政4年(1857)4月

目黒千代か池(めぐろちよがいけ)

歌川広重「名所江戸百景 目黒千代か池」
歌川広重「名所江戸百景 目黒千代か池」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
いまの場所千代が池跡
住所目黒区目黒1丁目付近
最寄り駅JR・東急目黒線 目黒駅から徒歩10分
滞在の目安約10分

目黒川を見下ろす高台にあった池「千代か池」を描いた一枚。桜の木がぼんやりと水面に映り込む、広重には珍しい繊細な情景表現が特徴です。池自体は昭和初期に埋め立てられ、今は目黒区の官庁街の一角に。かつての面影は、もう広重の絵の中にしか残っていません。

池の名は、南北朝時代の武将・新田義興の侍女「千代」が、主君の討死を知ってこの池に身を投げたという伝説に由来します。池は昭和初期まで残っていましたが、その後埋め立てられ、現在は目黒区の官庁街の一角となり、面影は広重の絵の中にしか残っていません。

出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E5%8C%BA

第4景 図版番号 83 安政4年(1857)4月

目黒太鼓橋夕日の岡(めぐろたいこばしゆうひのおか)

歌川広重「名所江戸百景 目黒太鼓橋夕日の岡」
歌川広重「名所江戸百景 目黒太鼓橋夕日の岡」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
いまの場所太鼓橋(目黒川)
住所目黒区中目黒1丁目・下目黒1丁目
最寄り駅JR・東急目黒線 目黒駅から徒歩7分
滞在の目安約10分

目黒川に架かる石造りのアーチ橋「太鼓橋」と、その名の由来となった太鼓のように丸い橋の形を描いた一枚。奥にそびえる夕日の岡は、紅葉が夕日に映える名所として親しまれました。石造りのアーチ橋は大正9年(1920)に鉄橋へ架け替えられ、今の目黒川は護岸整備された都市河川に。江戸期の石橋の面影はありませんが、「太鼓橋」の名は今も交差点名として残っています。

地震に弱い石造りのアーチ橋は江戸では珍しく、この太鼓橋も大正9年(1920)には鉄橋に架け替えられました。現在の目黒川は護岸整備された都市河川となり、江戸期の石橋の面影はありませんが、「太鼓橋」の名は今も交差点名として残っています。

あわせて寄りたい:目黒不動尊(瀧泉寺)徒歩15分ほど

江戸五色不動のひとつに数えられる天台宗の名刹。かつて茶屋が立ち並んだ参道は、今も商店街として賑わいを伝えています。

出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E5%B7%9D

第5景 図版番号 84 安政4年(1857)4月

目黒爺々が茶屋(めぐろじじがちゃや)

歌川広重「名所江戸百景 目黒爺々が茶屋」
歌川広重「名所江戸百景 目黒爺々が茶屋」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
いまの場所目黒不動尊参道周辺
住所目黒区下目黒3丁目付近
最寄り駅東急目黒線 不動前駅から徒歩5分
滞在の目安約10分

目黒不動尊へ向かう街道沿いの茶屋で、旅人たちが一服する様子を描いた一枚。田畑の向こうに富士山を望む、江戸郊外らしいのどかな風景です。

「爺々が茶屋」は目黒不動(瀧泉寺)へ参詣する人々のための、街道沿いの休み処のひとつでした。目黒不動は江戸五色不動のひとつに数えられる名刹で、鷹狩り好きの将軍・徳川家光にも縁が深い寺です。茶屋そのものは残っていませんが、不動尊の参道は今も商店街として、当時と同じ「参拝と憩い」の役割を果たし続けています。

出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E6%B3%89%E5%AF%BA

このルートのグルメ

とんかつ とんき 目黒本店

昭和14年(1939)創業、行列の絶えない目黒の老舗とんかつ店。三度づけの衣とかつ切りの美しさで知られ、多くの著名人にも愛されてきました。

目黒区下目黒1-1-2

公式・参考
目黒のさんま
目黒のさんま祭り.jpg (Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0)

目黒のさんま 目黒のさんま 菜の花 権之助坂本店

将軍が目黒でさんまを食べ「さんまは目黒に限る」と言ったという古典落語『目黒のさんま』にちなんだ一軒。気仙沼から届く新鮮なさんまを塩焼きなどで味わえる。

東京都目黒区下目黒1-1-15 菊ビル1F

公式・参考

ほかのルート