目黒ルートの5景
第1景 図版番号 75 安政4年(1857)4月
目黒新富士(めぐろしんふじ)
歌川広重「名所江戸百景 目黒新富士」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
| いまの場所 | 目黒新富士跡 |
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| 住所 | 目黒区中目黒2丁目付近 |
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| 最寄り駅 | 東急東横線 中目黒駅から徒歩10分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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文政12年(1829)、旗本・近藤重蔵が自邸に築いた人工の富士山「新富士」を描いた一枚。手前に築山を登る参詣者たち、奥に本物の富士山を配し、見立ての妙を楽しませる構図です。この人工の富士山は昭和34年(1959)まで残っていましたが、今は跡地に自然石が残るのみで、普通の住宅地に溶け込んでいます。
本物の富士山に登れない江戸庶民のために、富士山を模した小さな山(富士塚)を築いて疑似登山を叶えたのが「富士講」という信仰です。この新富士は昭和34年(1959)まで残っていましたが、現在は跡地に自然石が残るのみで、普通の住宅地に溶け込んでいます。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E5%AF%8C%E5%A3%AB
第2景 図版番号 76 安政4年(1857)4月
目黒元不二(めぐろもとふじ)
歌川広重「名所江戸百景 目黒元不二」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by yamai36, Wikimedia Commons(CC BY 3.0)
| いまの場所 | 上目黒氷川神社(浅間神社を合祀) |
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| 住所 | 目黒区大橋2-16-21 |
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| 最寄り駅 | 東急東横線・田園都市線 池尻大橋駅・中目黒駅から徒歩12分 |
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| 滞在の目安 | 約15分 |
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文化9年(1812)、新富士より早く築かれた「元富士」を描いた一枚。新富士に対して「元祖」を名乗るその名の通り、坂の上にそびえる築山を仰ぎ見る構図です。元富士は取り壊され、山頂に祀られていた浅間神社は明治21年(1888)に上目黒氷川神社へ遷されたため、それを境内社として祀る同社を現在地としています。
目切坂の上に築かれたこの元富士は、新富士より17年古い、目黒で最初の富士塚でした。取り壊された後、明治21年(1888)に山頂に祀られていた浅間神社が近くの上目黒氷川神社に遷座し、今もその境内社として大切に祀られています。
あわせて寄りたい:目黒雅叙園徒歩15分ほど
昭和6年(1931)創業、絢爛豪華な装飾で知られる結婚式場・ホテル。「昭和の竜宮城」とも呼ばれた名建築の面影を今に伝えます。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E5%AF%8C%E5%A3%AB
第3景 図版番号 94 安政4年(1857)4月
目黒千代か池(めぐろちよがいけ)
歌川広重「名所江戸百景 目黒千代か池」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
| いまの場所 | 千代が池跡 |
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| 住所 | 目黒区目黒1丁目付近 |
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| 最寄り駅 | JR・東急目黒線 目黒駅から徒歩10分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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目黒川を見下ろす高台にあった池「千代か池」を描いた一枚。桜の木がぼんやりと水面に映り込む、広重には珍しい繊細な情景表現が特徴です。池自体は昭和初期に埋め立てられ、今は目黒区の官庁街の一角に。かつての面影は、もう広重の絵の中にしか残っていません。
池の名は、南北朝時代の武将・新田義興の侍女「千代」が、主君の討死を知ってこの池に身を投げたという伝説に由来します。池は昭和初期まで残っていましたが、その後埋め立てられ、現在は目黒区の官庁街の一角となり、面影は広重の絵の中にしか残っていません。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E5%8C%BA
第4景 図版番号 83 安政4年(1857)4月
目黒太鼓橋夕日の岡(めぐろたいこばしゆうひのおか)
歌川広重「名所江戸百景 目黒太鼓橋夕日の岡」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
| いまの場所 | 太鼓橋(目黒川) |
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| 住所 | 目黒区中目黒1丁目・下目黒1丁目 |
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| 最寄り駅 | JR・東急目黒線 目黒駅から徒歩7分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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目黒川に架かる石造りのアーチ橋「太鼓橋」と、その名の由来となった太鼓のように丸い橋の形を描いた一枚。奥にそびえる夕日の岡は、紅葉が夕日に映える名所として親しまれました。石造りのアーチ橋は大正9年(1920)に鉄橋へ架け替えられ、今の目黒川は護岸整備された都市河川に。江戸期の石橋の面影はありませんが、「太鼓橋」の名は今も交差点名として残っています。
地震に弱い石造りのアーチ橋は江戸では珍しく、この太鼓橋も大正9年(1920)には鉄橋に架け替えられました。現在の目黒川は護岸整備された都市河川となり、江戸期の石橋の面影はありませんが、「太鼓橋」の名は今も交差点名として残っています。
あわせて寄りたい:目黒不動尊(瀧泉寺)徒歩15分ほど
江戸五色不動のひとつに数えられる天台宗の名刹。かつて茶屋が立ち並んだ参道は、今も商店街として賑わいを伝えています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E5%B7%9D
第5景 図版番号 84 安政4年(1857)4月
目黒爺々が茶屋(めぐろじじがちゃや)
歌川広重「名所江戸百景 目黒爺々が茶屋」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
| いまの場所 | 目黒不動尊参道周辺 |
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| 住所 | 目黒区下目黒3丁目付近 |
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| 最寄り駅 | 東急目黒線 不動前駅から徒歩5分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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目黒不動尊へ向かう街道沿いの茶屋で、旅人たちが一服する様子を描いた一枚。田畑の向こうに富士山を望む、江戸郊外らしいのどかな風景です。
「爺々が茶屋」は目黒不動(瀧泉寺)へ参詣する人々のための、街道沿いの休み処のひとつでした。目黒不動は江戸五色不動のひとつに数えられる名刹で、鷹狩り好きの将軍・徳川家光にも縁が深い寺です。茶屋そのものは残っていませんが、不動尊の参道は今も商店街として、当時と同じ「参拝と憩い」の役割を果たし続けています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E6%B3%89%E5%AF%BA