浅草・蔵前・駒形ルートの5景
第1景 図版番号 116 安政4年(1857)12月
御厩河岸(おうまやがし)
歌川広重「名所江戸百景 御厩河岸」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Nesnad, Wikimedia Commons(CC BY 3.0)
| いまの場所 | 蔵前橋 |
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| 住所 | 台東区蔵前2丁目・墨田区横網2丁目 |
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| 最寄り駅 | 都営浅草線 蔵前駅からすぐ |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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御厩河岸の渡し舟に乗り込む人々を、船上から見下ろす構図。大きく傾いだ画面構成が特徴的で、対岸に見える蔵屋敷の白壁が、この一帯が幕府の米蔵地帯であったことを物語っています。渡し場は明治以降に橋へ置き換えられ、今は黄色く塗られた蔵前橋がこの一帯のシンボルになっています。
「御厩」の名は、かつて将軍家の馬を飼育する厩(うまや)がこの地にあったことに由来します。すぐ隣には幕府の米蔵「浅草御蔵」があり、蔵前の地名の由来にもなりました。渡し場は明治以降に橋へと置き換えられ、現在は黄色く塗られた蔵前橋がこの一帯のシンボルとなっています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%B5%E5%89%8D%E6%A9%8B
第2景 図版番号 92 安政4年(1857)正月
駒形堂吾嬬橋(こまがたどうあずまばし)
歌川広重「名所江戸百景 駒形堂吾嬬橋」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Douglas P. Perkins, Wikimedia Commons(CC BY 3.0)
| いまの場所 | 駒形堂 |
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| 住所 | 台東区雷門2-2-2 |
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| 最寄り駅 | 都営浅草線 浅草駅からすぐ |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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隅田川岸に建つ駒形堂の脇から、上流に架かる吾妻橋を望む構図。手前には渡し舟や荷舟が行き交い、初詣らしき晴れ着姿の参詣者たちの姿も見えます。現在の建物は平成15年(2003)の再建ですが、同じ場所に今も浅草寺ゆかりのお堂として残っています。
駒形堂は浅草寺の観音像が漁師の網にかかって最初に祀られた地とされる、浅草寺発祥ゆかりのお堂です。現在の建物は平成15年(2003)の再建ですが、今も同じ場所で「浅草観音戒殺碑」とともに残り、隅田川と浅草寺を結ぶ結節点であり続けています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E5%AF%BA
第3景 図版番号 46 安政4年(1857)7月
浅草川大川端宮戸川(あさくさがわおおかわばたみやとがわ)
歌川広重「名所江戸百景 浅草川大川端宮戸川」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
| いまの場所 | 隅田川(吾妻橋周辺) |
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| 住所 | 台東区花川戸1丁目付近 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ・都営浅草線 浅草駅から徒歩7分 |
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| 滞在の目安 | 約10分 |
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舟の上から隅田川(浅草川)を見晴らす構図で、対岸には家並みと寺社の甍が連なり、川面には帆掛け舟が行き交います。「宮戸川」は浅草付近の隅田川の古い呼び名です。「宮戸川」という古い呼び名は今は使われていませんが、指している川そのものは今の隅田川と同じ場所です。
「宮戸川」は浅草寺の山号「金龍山」の縁起にも登場する、浅草付近の隅田川の雅称です。現在この一帯は東京スカイツリーを望む観光の中心地となり、屋形船や水上バスが行き交う光景に、往時の水運の賑わいの面影が残っています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%85%E7%94%B0%E5%B7%9D
第4景 図版番号 110 安政4年(1857)4月
廓中東雲(かくちゅうしののめ)
歌川広重「名所江戸百景 廓中東雲」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by 珈琲牛乳, Wikimedia Commons(CC BY 3.0)
| いまの場所 | 新吉原(吉原神社周辺) |
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| 住所 | 台東区千束4丁目付近 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ・都営浅草線 三ノ輪駅から徒歩10分 |
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| 滞在の目安 | 約15分 |
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夜明けの吉原の通りを描いた一枚。桜の頃らしく、通りに植えられた桜並木の下を、朝帰りの客や忘れ物を届けに走る若い衆の姿が描かれています。遊郭としての新吉原は昭和33年(1958)に廃止され、今は住宅地に。吉原神社にはかつて廓内四隅にあった稲荷社が合祀されており、当時の記憶を伝える場所としてここを選んでいます。
新吉原は明暦の大火(1657)を機に日本橋から移転した江戸最大の遊里で、周囲を堀で囲み出入口は大門ひとつという閉ざされた構造を持っていました。廃止は昭和33年(1958)。現在は住宅地となっていますが、吉原神社にはかつて廓内四隅にあった稲荷社が合祀され、当時の記憶を今に伝えています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%8E%9F_(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD)
第5景 図版番号 101 安政4年(1857)4月
墨田河橋場の渡かわら竈(すみだがわはしばのわたしかわらがま)
歌川広重「名所江戸百景 墨田河橋場の渡かわら竈」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
Photo by Souka Kinmei, Wikimedia Commons(CC BY 4.0)
| いまの場所 | 石浜神社(橋場の渡し跡) |
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| 住所 | 荒川区南千住3-28-58 |
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| 最寄り駅 | 東京メトロ 南千住駅から徒歩12分 |
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| 滞在の目安 | 約15分 |
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橋場の渡し場と、その先に立ち上る瓦を焼く窯の煙を描いた一枚。隅田川を挟んで向島の杜を望む、産業と信仰が同居するのどかな川辺の風景です。渡し場そのものは今はありませんが、渡し場の守護社だった石浜神社が、川べりにほど近い場所に今も鎮座し、その記憶を伝えています。
橋場の渡しは承和2年(835)の記録も残る、隅田川最古級の渡し場のひとつと伝わります。かつて周辺には瓦を焼く窯場が集まっていました。渡し場の守護社であった石浜神社は聖武天皇の時代創建と伝わる荒川区最古級の古社で、現在も渡し場のあった川べりにほど近い場所に鎮座しています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B5%9C%E7%A5%9E%E7%A4%BE