赤坂・四谷ルートの8景
第1景 図版番号 11 安政4年(1857)12月
山下町日比谷外さくら田(やましたちょうひびやそとさくらだ)
歌川広重「名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン) Photo by Roger W(1967), Wikimedia Commons(CC BY-SA 2.0)
いまの場所 日比谷公園(心字池) 住所 千代田区日比谷公園1 最寄り駅 東京メトロ 日比谷駅から徒歩2分 滞在の目安 約10分
正月の空に凧が舞い、鍋島家上屋敷の赤門越しに松飾りを望む一枚。日比谷の内堀端、山下町からの正月風景を描いています。描かれた外堀(日比谷濠)は明治以降に埋め立てられましたが、一部は日比谷公園の「心字池」として今も水をたたえています。鍋島家屋敷跡は公園の噴水広場あたりと考えられ、その面影を伝える場所としてここを選んでいます。
描かれた外堀(日比谷濠)は明治以降に埋め立てられましたが、一部は日比谷公園の「心字池」として今に残っています。鍋島家の屋敷跡は、公園の噴水広場あたりと考えられています。安政4年(1857)12月の作。
出典・参考:https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/417325
第2景 図版番号 18 安政4年(1857)正月
霞かせき(かすみがせき)
歌川広重「名所江戸百景 霞かせき」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン) Photo by Miyuki Meinaka, Wikimedia Commons(Public Domain)
いまの場所 霞が関(中央合同庁舎周辺) 住所 千代田区霞が関2丁目 最寄り駅 東京メトロ 霞ヶ関駅すぐ 滞在の目安 約5分
正月飾りの松と、干物を担ぐ物売りを配した一枚。霞が関の名は、遠くまで霞がたなびくように見えた眺めの良さに由来すると言われます。大名屋敷が並んだ武家地は明治以降の官庁街に姿を変えたため、その中心である中央合同庁舎周辺を現在地としています。
江戸時代の霞が関一帯は大名屋敷が立ち並ぶ武家地でしたが、明治以降に中央官庁街となり、今の国土交通省・外務省などが軒を連ねています。安政4年(1857)正月の作。
出典・参考:https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004027/
第3景 図版番号 117 安政4年(1857)11月
虎の門外あふひ坂(とらのもんそとあおいざか)
歌川広重「名所江戸百景 虎の門外あふひ坂」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン) Photo by Soramimi, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)
いまの場所 葵坂跡(虎ノ門一丁目付近) 住所 港区虎ノ門1丁目付近 最寄り駅 東京メトロ 虎ノ門駅からすぐ 滞在の目安 約10分
極寒の夜、虎ノ門の外堀沿いに続く葵坂を、提灯を手に凍えながら歩く人々を描いた一枚。手前の二人は職人の徒弟で、真冬に神社仏閣を裸参りする「寒稽古」の途中とされ、地面には湯気の立つ落とし物まで克明に描かれています。坂そのものは都市開発でほぼ消滅し、外堀も埋め立てられて、今は地下鉄駅名や町名に「虎ノ門」の名だけが残っています。
葵坂は江戸城外堀(現在の桜田通り・外堀通り交差点付近)にあった坂道で、坂の周辺一帯が「赤坂葵町」と呼ばれたことに名の由来があります。外堀は明治以降に埋め立てられ、坂そのものも都市開発でほぼ消滅しましたが、地下鉄駅名や町名に「虎ノ門」の名だけが残っています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%8E%E3%83%8E%E9%96%80
第4景 図版番号 30 安政3年(1856)4月
赤坂桐畑(あかさかきりばたけ)
歌川広重「名所江戸百景 赤坂桐畑」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
いまの場所 溜池跡(溜池山王駅周辺) 住所 港区赤坂1丁目・永田町2丁目付近 最寄り駅 東京メトロ 溜池山王駅からすぐ 滞在の目安 約10分
外堀の一部だった溜池のほとりに広がる桐畑を描いた一枚。江戸時代初期に土手の土留めとして植えられたと伝わる二本の桐の木が手前にそびえ、対岸には大名屋敷の甍が連なっています。桐の木も溜池も失われ、今では首都高速と高層ビルが行き交うオフィス街に。「溜池山王」という駅名だけが、かつてここに池があったことを伝えています。
溜池は江戸城西側の外堀を兼ねた人工の池で、かつては江戸市中への上水源のひとつでもありました。明治以降に埋め立てられて道路となり、今ではその名を「溜池山王」の駅名に残すのみ。桐の木も池も失われ、現在は首都高速と高層ビルが行き交うオフィス街に姿を変えています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%9C%E6%B1%A0
第5景 図版番号 118 安政6年(1859)4月
赤坂桐畑雨中夕けい(あかさかきりばたけうちゅうゆうけい)
二代歌川広重「名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン)
いまの場所 溜池跡(溜池山王駅周辺) 住所 港区赤坂1丁目・永田町2丁目付近 最寄り駅 東京メトロ 溜池山王駅からすぐ 滞在の目安 約10分
同じ桐畑を、雨に烟る夕暮れどきに描き直した一枚。手前の桐の枝葉が画面いっぱいに広がり、雨脚を表す繊細な斜めの摺り(バレン摺り)が、しっとりとした夜の空気を伝えています。
初代広重は安政5年(1858)に没しましたが、「名所江戸百景」は好評につき続刊が望まれ、二代広重(初代の門人・重宣)が跡を継いで欠けていた図を補いました。本作はその代表例で、初代の「赤坂桐畑」(前図)と同じ場所を、師の死後に弟子が描き足した一枚として知られています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E5%BA%83%E9%87%8D_(2%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
第6景 図版番号 35 安政4年(1857)9月
紀の国坂赤坂溜池遠景(きのくにざかあかさかためいけえんけい)
歌川広重「名所江戸百景 紀の国坂赤坂溜池遠景」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン) Photo by ITA-ATU, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)
いまの場所 紀伊国坂 住所 港区元赤坂2丁目付近 最寄り駅 東京メトロ 赤坂見附駅から徒歩8分 滞在の目安 約10分
紀伊徳川家の屋敷脇を通る坂道を、大名行列がゆっくりと上ってゆく情景。坂の下には溜池と対岸の町並みが遠く広がり、手前の木々の緑と奥の水面の対比が涼やかな一枚です。紀伊徳川家の屋敷跡は迎賓館赤坂離宮と赤坂御用地になりましたが、坂そのものは今も同じ場所に残っています。
「紀伊国坂」の名は、坂の西側に御三家のひとつ紀伊徳川家の広大な中屋敷があったことに由来します。その屋敷跡地は明治以降皇室に献上され、現在は迎賓館赤坂離宮と赤坂御用地となっています。坂そのものは今も同じ場所に残り、迎賓館の石垣沿いを歩くことができます。
あわせて寄りたい:迎賓館赤坂離宮徒歩3分ほど 明治42年(1909)完成、旧東宮御所として建てられたネオ・バロック様式の洋館。紀伊徳川家中屋敷の跡地に立ち、日本を代表する迎賓施設として国賓・公賓を迎えています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E4%BC%8A%E5%9B%BD%E5%9D%82
第7景 図版番号 42 安政5年(1858)10月
市ヶ谷八幡(いちがやはちまん)
歌川広重「名所江戸百景 市ヶ谷八幡」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン) Photo by Doricono, Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)
いまの場所 市谷亀岡八幡宮 住所 新宿区市谷八幡町15 最寄り駅 JR・都営新宿線 市ケ谷駅から徒歩3分 滞在の目安 約20分
急な石段の上に鳥居がそびえ、参道脇には大きな松の木が枝を広げる情景。石段を上り下りする参詣者たちの姿が小さく描かれ、境内からの眺めの良さが伝わってきます。急な石段と正面の大鳥居は今もほぼ絵のままの姿で残っているため、その参道を現在地としています。
太田道灌が江戸城築城の際、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して文明11年(1479)に創建したと伝わる古社。江戸時代は徳川将軍家からも篤く信仰され、現在も急な石段と正面の大きな鳥居は当時とほぼ変わらぬ姿で残っています。境内には縁結びで知られる茶ノ木稲荷神社も鎮座します。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E8%B0%B7%E4%BA%80%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
第8景 図版番号 26 安政4年(1857)11月
四ツ谷内藤新宿(よつやないとうしんじゅく)
歌川広重「名所江戸百景 四ツ谷内藤新宿」国立国会図書館デジタルコレクション(パブリックドメイン) Footbridge over a pond in Shinjuku Gyoen National Garden and NTT DoCoMo Yoyogi Building, Tokyo, Japan.jpg (Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0)
いまの場所 新宿三丁目・新宿御苑周辺 住所 新宿区新宿3丁目付近 最寄り駅 東京メトロ・都営新宿線 新宿三丁目駅からすぐ 滞在の目安 約15分
宿場の路上に佇む二頭の馬と、その足元に転がる馬糞の玉までもをあえて克明に描いた、シリーズ中でも異色の一枚。手前に大きく描かれた馬の脚が独特の遠近感を生み、飾らない宿場の日常を伝えています。宿場の中心地だった内藤家屋敷跡は新宿御苑に、宿場としての賑わいは新宿三丁目・新宿通り一帯に、それぞれ形を変えて受け継がれています。写真は、内藤家の屋敷跡がそのまま庭園として残る新宿御苑の様子です。
内藤新宿は元禄11年(1698)、甲州街道の最初の宿場として開設された、江戸四宿(品川・板橋・千住・新宿)のひとつ。もとは信濃高遠藩・内藤家の下屋敷地で、その広大な屋敷跡地は明治以降「新宿御苑」として整備され、現在は都心有数の庭園として親しまれています。宿場としての賑わいは新宿三丁目・新宿通り一帯に受け継がれています。
あわせて寄りたい:太宗寺徒歩7分ほど 慶長元年(1596)開山と伝わる浄土宗の寺院。内藤家の菩提寺としても知られ、境内には江戸六地蔵の一つに数えられる銅造地蔵菩薩坐像が今も残っています。
出典・参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%97%A4%E6%96%B0%E5%AE%BF