東京 北側

谷中七福神の巡り方

江戸最古の七福神巡りと言われるコースで、田端の東覚寺から上野の不忍池弁天堂まで、台東区・荒川区・北区をまたいで約4〜5kmを歩きます。谷中銀座や寺町の路地を抜けるので、参拝の合間に街歩きも楽しめます。所要は3時間ほど。七福神詣の期間は1月1日〜10日で、この期間以外は御朱印をいただけない寺があるので、日程は事前に確認してください。

社寺の数7か所
授与期間授与期間は各社寺の公式情報で確認してください
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順路

  1. 東覚寺福禄寿
  2. 青雲寺恵比寿神
  3. 修性院布袋尊
  4. 天王寺毘沙門天
  5. 長安寺寿老人
  6. 護国院大黒天
  7. 不忍池弁天堂弁財天

順番に決まりはありません。最寄り駅から近い順に回るのが歩きやすい方法です。御朱印は参拝してから受け、授与時間・初穂料・書き置き対応は変わることがあるので、参拝前に各社寺の公式情報で確認してください。

谷中七福神の7社寺

1番目

東覚寺

祀られている神福禄寿
住所東京都北区田端2-7-3
御朱印9:00-17:00(御開帳・御朱印は1月1日〜10日)

谷中七福神めぐりのスタート地点として案内されることが多い。

赤紙仁王で有名。

この社寺の歴史

延徳3年(1491)、真言宗御室派の僧・源雅が不動明王を勧請して本尊とし、神田の筋違(現在の万世橋あたり)に建てたのが始まりと伝えられます。慶長年間(1596〜1615)の初めに、いまの田端の地へ移りました。門前に立つ「赤紙仁王」は、寛永18年(1641)8月21日に道如宗海上人が田端八幡神社へ奉納した石造の金剛力士像で、明治初年の神仏分離の際、別当寺であった当寺へ移されたものです。悪魔を消し去る火の色である赤紙を、自分の患部と同じ場所に貼って病気平癒を祈り、願いがかなうと草鞋を奉納する習わしが続いています。

出典:東覚寺 公式サイト

2番目

青雲寺

祀られている神恵比寿神
住所東京都荒川区西日暮里三丁目6-4
御朱印9:00-17:00(御開帳・御朱印は1月1日〜10日)

花見寺の一つとしても知られた寺院。

この社寺の歴史

臨済宗妙心寺派の寺で、開山は智光禅師と伝えられます。宝暦年間(1751〜64)に、老中もつとめた堀田相模守正亮が中興したとされます。この一帯は江戸中期から「ひぐらしの里」と呼ばれ、日の暮れるのも忘れて過ごせる行楽地として賑わいました。青雲寺も四季の花で知られ、隣の修性院などとともに「花見寺」と呼ばれています。境内には文化6年(1809)の滝沢馬琴の筆塚の碑をはじめ、硯塚の碑や狂歌師の碑など、江戸の文人ゆかりの石碑が残ります。

出典:荒川区教育委員会掲示ほか(猫の足あと)

3番目

修性院

祀られている神布袋尊
住所東京都荒川区西日暮里三丁目7-12
御朱印9:00-17:00(御開帳・御朱印は1月1日〜10日)

青雲寺のすぐ隣に位置する。

この社寺の歴史

日蓮宗の寺で、『新編武蔵風土記稿』によれば、天正元年(1573)に豊島郡田中村(現在の練馬区南田中)で開かれ、寛文3年(1663)にこの地へ移ったとされます。開山は日運。江戸中期の宝暦年間から庭に築山などを設けて人々の遊観の地となり、隣接する青雲寺とともに「花見寺」と呼ばれました。周辺が「ひぐらしの里」と呼ばれた行楽地であったことにちなみ、本堂に祀られる大きな布袋像は「日ぐらしの布袋」と親しまれています。

出典:新編武蔵風土記稿・荒川区教育委員会掲示(猫の足あと)

4番目

天王寺

祀られている神毘沙門天
住所東京都台東区谷中七丁目14-8
御朱印9:00-17:00(御開帳・御朱印は1月1日〜10日)

谷中霊園に隣接する古刹。

この社寺の歴史

正しくは護国山尊重院天王寺。もとは長燿山感應寺という日蓮宗の寺で、鎌倉と安房を往来していた日蓮が関長耀の屋敷に立ち寄ったことに始まると伝えられ、一般には室町時代の応永年間の創建とされます。江戸時代、幕府の弾圧を受けた不受不施派とのかかわりから、元禄12年(1699)に幕府の命で天台宗へ改宗させられ、天保4年(1833)に天王寺と改められました。境内で行われた富くじは、目黒不動滝泉寺・湯島天満宮とあわせて「江戸三富」と呼ばれ知られていました。幸田露伴の小説のモデルとなった五重塔は、昭和32年(1957)7月6日に焼失し、いまは跡地が残ります。

出典:台東区教育委員会掲示ほか(猫の足あと)

主な祭事

  • 谷中七福神詣(1月1日〜10日) 江戸で最も古いとされる七福神めぐりの期間。

5番目

長安寺

祀られている神寿老人
住所東京都台東区谷中五丁目2-22
御朱印9:00-17:00(御開帳・御朱印は1月1日〜10日)

谷中の寺町らしい落ち着いた佇まい。

この社寺の歴史

正徳2年(1712)に大道山長安寺の寺号が認められ、この地へ移ったと伝えられます(『御府内寺社備考』は宝永元年(1704)にさかのぼる記述も残します)。開基は老山和尚禅師で、享保9年(1724)正月に亡くなっています。『御府内寺社備考』には寿老人堂と丈3尺5寸の寿老人座像の記載があり、これが谷中七福神の寿老人にあたります。境内墓地には、近代日本画の礎を築いた狩野芳崖(明治21年・61歳で没)の墓があり、妻ヨシとともに眠っています。

出典:御府内寺社備考・台東区教育委員会掲示(猫の足あと)

6番目

護国院

祀られている神大黒天
住所東京都台東区上野公園10-18
御朱印9:00-17:00(御開帳・御朱印は1月1日〜10日)

上野公園内、寛永寺の子院。

この社寺の歴史

寛永2年(1625)、天海が東叡山寛永寺を開いたとき、その命を受けた生順大僧正が最初の子院として建てた、寛永寺三十六坊の筆頭格の寺です。寛永7年(1630)には三代将軍・徳川家光により釈迦堂が建立され、護国院がその別当をつとめたことから「東叡山釈迦堂」とも呼ばれます。大黒天は、寛永16年(1639)の大念佛法要の際に、家光が国の護りと人々の福運を祈って藤原信実筆と伝わる大黒天の画像を生順大僧正に贈ったものと伝えられます。現在の本堂(釈迦堂)は享保2年(1717)に焼失したのち、享保7年(1722)に再建されたものです。

出典:台東区 文化探訪アーカイブス

7番目

不忍池弁天堂

祀られている神弁財天
住所東京都台東区上野公園2-1
御朱印9:00-17:00(御開帳・御朱印は1月1日〜10日)

谷中七福神の最終地点として案内されることが多い。

不忍池に浮かぶ小島にある。

この社寺の歴史

江戸初期の寛永年間、東叡山寛永寺を開いた慈眼大師・天海大僧正(1536〜1643)によって建てられました。天海は「見立て」の思想で上野の山を設計し、不忍池を琵琶湖に、池にあった小さな島を竹生島に見立てて、水谷伊勢守勝隆とともに島を造成。竹生島の宝厳寺になぞらえたお堂を建てたのが弁天堂の始まりです。本尊は八本の腕にそれぞれ煩悩を打ち破る武器を持つ八臂大辯才天。昭和20年の空襲で一帯とともに焼けましたが、昭和33年(1958)にお堂が復興し、昭和41年(1966)には児玉希望画伯による龍の天井絵が奉納されました。

出典:不忍池辯天堂 公式サイト

主な祭事

  • 巳成金大祭(9月の「巳」「成」「金」が重なる日) 一年で最も金運に恵まれるとされる日の大祭。年に一度この日だけ本尊が開扉され、早朝から夕方まで参拝できる。

ほかのコース