東京 東側・都心東

浅草名所七福神の巡り方

浅草・今戸・千束エリアの9社寺を巡ります。7か所ではなく9か所あるのは、七福神に2神(寿老人と福禄寿が2社ずつ)を加えて祀っているためです。浅草寺・浅草神社を起点に、今戸神社・待乳山聖天と隅田川沿いを北へ、吉原神社・鷲神社と千束方面を回って戻る構成で、全部歩くと4〜5時間。半日かけてゆっくり回るか、2日に分けるのが現実的です。

社寺の数9か所
授与期間授与期間は各社寺の公式情報で確認してください
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順路

  1. 浅草寺大黒天
  2. 浅草神社恵比須
  3. 待乳山聖天(待乳山本龍院)毘沙門天
  4. 今戸神社福禄寿
  5. 橋場不動院(橋場不動尊)布袋尊
  6. 石浜神社寿老神
  7. 吉原神社弁財天
  8. 鷲神社寿老人
  9. 矢先稲荷神社福禄寿

順番に決まりはありません。最寄り駅から近い順に回るのが歩きやすい方法です。御朱印は参拝してから受け、授与時間・初穂料・書き置き対応は変わることがあるので、参拝前に各社寺の公式情報で確認してください。

浅草名所七福神の9社寺

1番目

浅草寺

祀られている神大黒天
住所東京都台東区浅草2-3-6
御朱印8:00-17:00(影向堂にて授与)

浅草を代表する大寺院。

米櫃大黒天として知られる。

この社寺の歴史

推古天皇36年(628)3月18日の早朝、宮戸川(いまの隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成の兄弟の網に一躰の像がかかりました。土地の長であった土師中知に見てもらうと聖観世音菩薩の尊像とわかり、翌19日に祀られたのが始まりと伝えられます。大化元年(645)には勝海上人が観音堂を修造し、以来この本尊は秘仏として伝えられてきました。天安元年(857)には慈覚大師円仁が来山し、中興開山とされます。天正18年(1590)に江戸へ入った徳川家康は当寺を祈願所と定め、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦勝祈祷も修されました。昭和20年3月10日の東京大空襲で本堂を失いましたが、昭和26年に起工し昭和33年(1958)に再建されています。

出典:浅草寺 公式サイト

主な祭事

  • ほおずき市(四万六千日)(7月9日・10日) この日に参拝すると四万六千日ぶん参拝したのと同じ功徳があるとされる。
  • 羽子板市(歳の市)(12月17日〜19日) 年の瀬に羽子板を商う市が立つ。

2番目

浅草神社

祀られている神恵比須
住所東京都台東区浅草2-3-1
御朱印9:00-16:30

浅草寺に隣接する三社様。

恵比寿神本体は非公開、社務所に写真が飾られる。

この社寺の歴史

御祭神は、隅田川で観音像を引き上げた檜前浜成命・檜前武成命と、それを聖観世音菩薩と見抜いた土師真中知命の三柱。この三人を郷土神として観音堂のかたわらに祀ったのが三社権現社で、「三社様」と親しまれてきました。現在の社殿は慶安2年(1649)に三代将軍・徳川家光が建立寄進したもので、たび重なる火災や関東大震災、戦災を免れ、当時の姿を今に伝えています。明治元年に三社明神社と改め、同6年に浅草郷の総鎮守として浅草神社と定められました。例大祭の三社祭は初夏の風物詩として知られています。

出典:浅草神社 公式サイト

主な祭事

  • 三社祭(5月第3土曜を基点とした金・土・日) 浅草神社の例大祭。正和元年(1312)に始まった船祭にさかのぼり、明治5年から5月の祭礼に。一之宮・二之宮・三之宮の宮神輿三基が渡御する。

3番目

待乳山聖天(待乳山本龍院)

祀られている神毘沙門天
住所東京都台東区浅草7-4-1
御朱印9:00-16:00(正月期間中に本堂内で御開帳)

大根とキンチャクの意匠で知られる。

この社寺の歴史

浅草寺の子院のひとつで、正しくは待乳山本龍院。推古天皇3年(595)9月、この地に忽然と山が現れ龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号「金龍山」の由来になったともいわれます。推古天皇9年(601)、あたりが旱魃に見舞われたとき、大聖歓喜天と十一面観音が祀られたと伝えられます。境内のいたるところに見られる二股大根と巾着の意匠は、大根が健康と夫婦和合・子孫繁栄を、巾着が商売繁盛を表すもので、歓喜天への供物にちなみます。浅草名所七福神では毘沙門天を祀ります。

出典:本龍院(Wikipedia・寺伝を含む)

主な祭事

  • 大般若講・大根まつり(1月7日) 昭和49年(1974)から毎年1月7日に。午前の大般若講のあと、正月に供えられた大根が風呂吹き大根とお神酒にしてふるまわれる。

4番目

今戸神社

祀られている神福禄寿
住所東京都台東区今戸1-5-22
御朱印9:00-16:30

招き猫発祥の地の一つとされる。

縁結びの神社として若年層に人気。

この社寺の歴史

後冷泉天皇の康平6年(1063)、奥州鎮守府将軍・源頼義と義家の父子が、勅命による奥州討伐にあたって篤く祈願し、鎌倉の鶴岡と浅草今之津(現在の今戸)に京都の石清水八幡を勧請したのが始まりと伝えられます。永保元年(1081)、清原氏討伐に向かう源義家がふたたび戦勝を祈願し、勝利ののち神徳に報いて社殿を修復したといいます。昭和12年7月、隣地に鎮座していた白山神社と合祀され、社名が今戸神社と改められました。この地は16世紀から続く今戸焼発祥の地で、猫の焼き物がつくられたことから招き猫発祥の地としても知られています。

出典:浅草観光連盟

5番目

橋場不動院(橋場不動尊)

祀られている神布袋尊
住所東京都台東区橋場2-14-19
御朱印9:00-16:30(正月期間中本堂内で御開帳)

江戸時代の珍しい布袋尊像を安置。

この社寺の歴史

正しくは砂尾山橋場寺不動院。天平宝字4年(760)、寂昇上人によって開かれたと伝えられます。本尊の不動明王は、良弁僧都が相模の大山寺にいたころ彫った三体のうちの一つとされ、上総へ向かう途中この地に立ち寄った寂昇上人が霊告を得て安置したのが始まりといいます。長寛元年(1163)に教円坊によって法相宗から天台宗へ改められました。明治末年の大火、関東大震災、そして戦災のいずれにおいても、不動院を中心とした橋場の一角だけが災禍を免れたことから「火伏せの橋場不動尊」と呼ばれ信仰を集めています。

出典:橋場不動院 公式サイト

6番目

石浜神社

祀られている神寿老神
住所東京都荒川区南千住3-28-58
御朱印9:00-16:00(正月期間中拝殿脇の末社で開扉)

隅田川近くに鎮座する古社。

この社寺の歴史

神亀元年(724)9月11日、聖武天皇の勅願によって鎮座したと伝えられる古社です。源頼朝が藤原泰衡討伐に向かう際に当社で祈願し、大勝したことから社殿を造営したといい、そのとき「神風や伊勢の内外の大神を武蔵野のここに宮戸川かな」の歌を献じたと伝えられます。建久から正治(1190〜1201)のころにかけて繁栄し、とくに千葉氏・宇都宮氏の尊信が篤く、神地を領しました。伊勢の大神を祀ることから「江戸の伊勢」「しんめい様」とも呼ばれ、周辺には太田道灌ゆかりの石浜城があったとも伝えられます。

出典:石浜神社 公式サイト・荒川区資料(猫の足あと)

7番目

吉原神社

祀られている神弁財天
住所東京都台東区千束3-20-2
御朱印9:00-16:00

旧吉原遊廓の氏神が集められた神社。

関東大震災後に吉原弁財天が合祀された。

この社寺の歴史

新吉原の廓内には、大門の手前に玄徳(吉徳)稲荷社、四隅に榎本・明石・開運・九郎助の四つの稲荷社が祀られていました。明治5年(1872)、この五社が合祀され、総称して吉原神社と名づけられました。御祭神は倉稲魂命と市杵島姫命。大正12年(1923)の関東大震災で社殿を焼失し、しばらく仮社殿に祀られたのち、昭和9年(1934)に現在地へ新社殿を造営した際、隣接する花園池に鎮座していた吉原弁財天もあわせて祀られました。震災の折に弁天池で亡くなった人々を供養するため、大正15年(1926)には弁天祠のかたわらに吉原観音が建てられています。

出典:吉原神社 由緒書(御朱印・神社メモ)

8番目

鷲神社

祀られている神寿老人
住所東京都台東区千束3-18-7
御朱印9:00-16:00

昭和52年の再興時に浅草名所七福神へ加わった。

酉の市発祥の神社として著名。

この社寺の歴史

御祭神は天日鷲命と日本武尊。天照大御神が岩戸に隠れたとき、天手力男命が岩戸を開くと、弦の先に鷲がとまったといい、神々はこれを世を明るくする瑞象を現した鳥として、この神を鷲大明神・天日鷲命と称えるようになったと伝えられます。のちに日本武尊が東夷征討の折に立ち寄って戦勝を祈願し、帰路には社前の松に武具の熊手をかけて勝ち戦を祝いました。その日が十一月の酉の日であったことから例祭日と定められ、「酉の祭」、のちの「酉の市」となりました。熊手を求める酉の市は、いまも晩秋の風物詩として続いています。

出典:鷲神社 公式サイト

主な祭事

  • 酉の市(11月の酉の日) 日本武尊が社前の松に熊手をかけて勝ち戦を祝った日が十一月の酉の日であったことに由来。年により二の酉・三の酉まである。

9番目

矢先稲荷神社

祀られている神福禄寿
住所東京都台東区松が谷2-14-1
御朱印9:00-16:30(正月期間中拝殿内で御開帳)

本堂天井に馬乗り絵が並ぶことで知られる。

この社寺の歴史

寛永19年(1642)11月23日、三代将軍・徳川家光が国家の安泰と市民の安全、武道の練成を願って、この地に京都にならった三十三間堂を建立したとき、その守護神として稲荷大明神を勧請したのが始まりです。堂では弓の練成のため「通し矢」が行われましたが、社の建つ場所がちょうど矢の的の先にあたっていたことから「矢先稲荷」と名づけられました。元禄11年(1698)の火災で三十三間堂は深川へ移りましたが、当社はこの地に残り、いまに至ります。浅草名所七福神では福禄寿を祀ります。

出典:矢先稲荷神社(猫の足あと・浅草観光連盟)

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