東京 東側・都心東

日本橋七福神の巡り方

中央区日本橋の8社を、水天宮から小網神社まで1〜1.5時間で回れるコンパクトなコースです。すべて神社で、地下鉄の駅と駅の間に社が並ぶので、七福神巡りが初めての方や、子ども連れ・年配の方にも歩きやすい構成です。正月の七福神詣期間は各社に順路の案内が出ますが、通年で御朱印をいただける社が多いので、混雑を避けて平日に回るのもおすすめです。

社寺の数8か所
授与期間通年で御朱印をいただけます 多くの社は通年で授与。ただし寶田恵比寿神社のように、七福神詣期間とべったら市のときだけ授与する社もあります。
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順路

  1. 水天宮弁財天(宝生弁財天)
  2. 茶ノ木神社布袋尊
  3. 小網神社福禄寿・弁財天
  4. 寶田恵比寿神社恵比寿神
  5. 椙森神社恵比寿大神
  6. 笠間稲荷神社東京別社寿老神
  7. 末廣神社毘沙門天
  8. 松島神社大国神

順番に決まりはありません。最寄り駅から近い順に回るのが歩きやすい方法です。御朱印は参拝してから受け、授与時間・初穂料・書き置き対応は変わることがあるので、参拝前に各社寺の公式情報で確認してください。

日本橋七福神の8社寺

1番目

水天宮

祀られている神弁財天(宝生弁財天)
住所東京都中央区日本橋蠣殻町2-4-1

天御中主大神ほかを祀る。日本橋七福神の中で最も参拝者が多い社の一つ。

通年対応。安産・子授けの神としても著名。

この社寺の歴史

文政元年(1818)、久留米藩九代藩主・有馬頼徳が、参勤交代で江戸にいる間も参拝できるようにと、国元久留米から御分霊を芝赤羽根の上屋敷内へ勧請したのがはじまりです。藩邸の塀越しに賽銭を投げる人が絶えないほど信仰を集め、毎月5日に門を開いて庶民の参拝を許したことから「なさけ有馬の水天宮」という流行語が生まれました。明治4年に青山、翌5年に日本橋蛎殻町へ移って現在に至ります。宝生弁財天は藩邸内に祀られていた市杵島姫神で、頼徳が弁財天に願をかけて勝利をおさめた故事から、学業・芸能と財福の神として信仰されています。

出典:水天宮 公式サイト

2番目

茶ノ木神社

祀られている神布袋尊
住所東京都中央区日本橋人形町1-12-10

元は下総佐倉藩・堀田家の中屋敷内に祀られた稲荷。布袋尊は昭和60年に合祀された。

七福神詣期間は町会対応、通常期は水天宮で対応することが多い。

この社寺の歴史

御祭神は伏見系の稲荷神・倉稲魂大神。この一帯は江戸時代、下総佐倉十八万石の城主で大老をつとめた堀田家の中屋敷(約3000坪)でした。屋敷の芝の上には丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植え込まれており、その景観から「茶ノ木さま」と呼ばれるようになったと伝えられます。火伏せの神として崇められ、堀田家では年に一度、初午祭の日だけ門を開いて一般の参拝を許しました。布袋尊が合祀されたのは昭和60年11月16日と新しく、福運大願を成就させる和合成就の神として祀られています。

出典:茶ノ木神社 公式サイト

主な祭事

  • 初午祭(2月の初午の日) 江戸時代、堀田家が年に一度この日だけ屋敷の門を開き、一般の参拝を許した。

3番目

小網神社

祀られている神福禄寿・弁財天
住所東京都中央区日本橋小網町16-23

東京大空襲で社殿が焼け残ったことから強運・厄除けの神社として知られる。

通年対応。強運厄除の神社として人気が高い。

この社寺の歴史

起こりは、武蔵国豊島郡入江のほとりにあった萬福庵という庵。恵心僧都の開基と伝えられ、観世音と弁財天も僧都の作と伝わります。文正元年(1466)に疫病が流行したとき、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、翁を稲荷大神と崇めて小網稲荷大明神と称し、神社が創建されたと伝えられています。第二次大戦では、出征奉告祭に参列して御守を受けた兵士が全員生還したこと、昭和20年3月10日の東京大空襲で境内の建物が奇跡的に戦災を免れたことから、強運厄除の神として知られるようになりました。萬福舟乗弁財天は明治2年に萬福寿寺から遷座したもので、「東京銭洗い弁天」と呼ばれています。

出典:小網神社 公式サイト

4番目

寶田恵比寿神社

祀られている神恵比寿神
住所東京都中央区日本橋本町3-10-11

毎年10月のべったら市発祥の地としても知られる。

御朱印は七福神詣で期間と「べったら市」開催時のみ、べったら市保存会が対応。

この社寺の歴史

慶長11年(1606)、徳川家康が江戸城の拡張にあたって宝田・祝田・千代田の三か村に移転を命じたとき、宝田村の鎮守をこの地へ遷したのが始まりです。三河から家康に随行した馬込勘解由が村人を引き連れて移転を成し遂げ、その功により家康から恵比寿像を授けられ、守護神として祀ったと伝えられます。この恵比寿像は鎌倉時代の名匠・運慶の作と伝えられています。勘解由はのちに三伝馬取締役に出世し、大伝馬町の町名の由来になりました。毎年10月のべったら市は、恵比寿講の市に浅漬け大根(べったら漬)を売る店が並んだことに由来し、いまも秋の風物詩として続いています。

出典:べったら市の由来(江戸屋)

主な祭事

  • べったら市(10月19日・20日) 恵比寿講の市に浅漬け大根(べったら漬)を売る店が並んだことに由来する、日本橋の秋の風物詩。

5番目

椙森神社

祀られている神恵比寿大神
住所東京都中央区日本橋堀留町1-10-2

江戸三森の一つとされる古社。富くじ興行の記念碑が残る。

通年対応。

この社寺の歴史

創建は古く、平将門の乱の際に藤原秀郷が戦勝を祈願し、乱の平定後に白銀の狐像を奉納したとの伝承が残ります。文正元年(1466)には太田道灌が雨乞いの霊験にこたえて山城国稲荷山の五社大神を勧請したと伝えられ、江戸時代には椙森・柳森・烏森をあわせた「江戸三森」の一つに数えられました。恵比寿大神は寛文年間に吉川惟足が大巳貴大神の託宣を受けて祀ったとされます。江戸の庶民に親しまれたのが境内で行われた富くじ興行で、これをしのぶ富塚の碑が大正8年(1919)に建てられ、いまも境内に残ります。社殿は関東大震災で焼失し、昭和6年(1931)に鉄筋入りの耐震構造で再建されました。

出典:椙森神社(Wikipedia・伝承を含む)

6番目

笠間稲荷神社東京別社

祀られている神寿老神
住所東京都中央区日本橋浜町2-11-6

茨城・笠間稲荷神社の東京別社。

通年対応。

この社寺の歴史

安政6年(1859)11月、笠間藩主・牧野越中守が浜町の自邸内に、国元の笠間稲荷の神霊を分祀したのが始まりです。この藩邸はもともと五代将軍・徳川綱吉の寵臣であった牧野成貞の拝領地の一部で、邸内には以前から稲荷社が祀られており、綱吉が浜町邸を訪れた際には参拝したと伝えられています。明治6年12月に現在地へ遷座し、同11年3月に官許を得て一般の参拝が許されました。本殿に向かって左手に日本橋七福神の寿老神が祀られ、長寿と導きの神として信仰されています。

出典:猫の足あと(神社由緒書ほか)

7番目

末廣神社

祀られている神毘沙門天
住所東京都中央区日本橋人形町2-25-20

元吉原の氏神とされる古社。

通年対応。

この社寺の歴史

慶長元年(1596)にはすでに「稲荷祠」として現在の境内地あたりに鎮座していたと伝えられる、人形町の地主神です。明暦の大火で吉原が移転したのちは、その跡地にあたる四町の氏神として信仰を集めました。社名の「末廣」は、延宝3年(1675)の社殿修復の際に年を経た中啓(末広がりの扇)が見つかり、氏子たちがこれを喜び祝って二字を冠したことに由来します。勝運を授け災難をよける神として、およそ400年にわたって信仰されてきました。

出典:末廣神社 公式サイト

8番目

松島神社

祀られている神大国神
住所東京都中央区日本橋人形町2-15-2

ビルの1階に鎮座する、稲荷ほか十数柱を合祀する神社。

通年対応。

この社寺の歴史

かつてこの一帯が入り海だったころ、小さな島がありました。鎌倉時代の元亨(1321)以前に、柴田家の祖先が下総国からこの島へ移り住み、邸内に諸神を勧請したのが始まりと伝えられます。夜ごと掲げる灯火が舟人の目印となり、航海の安全を守ったといいます。島に松が生い茂っていたことから、人々は松島稲荷大明神と呼びました。天正13年(1585)2月13日に邸宅が公開され、大正5年6月10日に松島神社と改称。稲荷大神・伊邪那岐大神をはじめ十四柱の神々を祀り、そのうちの大国主神が日本橋七福神の大国神にあたります。

出典:松島神社由緒書(猫の足あと)

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